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第56話 蘇る記憶

散々めちゃくちゃにされて、気が済んだのか菫は宿に残した現金と荷物を傍に置いて帰った。 「また連絡するよ」 落ち着いた声でそう言い、優しく大きな掌で髪を撫でられたような感触をぐったりと横たえた躰から感じた。 ただ愛撫されて何度も何度も絶頂に達しても、愛は感じなかった。 夥しく吸われた痕と体液を感じて気持ち悪く、後孔からは白濁とした体液が溢れ落ちて太腿を伝い、胸の突起はじんじんと痛んだ。 菫が帰ったのを確認して、とりあえずシャワーを浴びると居間へ重たい躰を引きずりながら移動し、何も敷かずにシャツのまま横になった。 汚れた布団の上で寝るのが嫌で、さらに寝室の嫌な記憶から逃げたかった。 桐生が出て行って、心底良かったとふと思った。もし居たら、ボロボロの自分を心配してくれるだろうか。 出て行った相手を考えながら、疲労感から微睡みながら瞼を閉じた。 多分、桐生なら心配して説教するだろう。 そして暫く休むと喉が渇いて、水を飲もうと台所へ向かおうとした。 気怠い躰を起こして蹌踉めきながら立ち上がると、麻痺した足が縺れ棚にぶつかった。 「……いたっ……」 一昨日から踏んだり蹴ったりだ。 ぶつけた拍子で、以前美術館に行った時に菫から貰ったオルゴールがころころと落ちて、蓋が開いた。 懐かしく、何処かで聴いた大衆曲が流れた。 その箱と音色に、既視感を覚えた。 蒼から貰ったオルゴールは確か開封せずに袋のまま、寝室に置いてあるのを思い出す。 確かあの日は締切に追われてそのままにしていた。 居間の畳に転がったオルゴールをよく見ると、箱は薄汚れていて音も辿々しく、小さな音色を奏でている。 「…………あっ……」 オルゴールから想起された記憶は、夥しい三年分の蒼だった。 壊れそうな音色が耳を撫でるたびに、閉じかけた三年分の記憶がやっと戻ってきたのが分かった。 ゆっくりと頬から涙が溢れた。 そうだ、同じのを買っていたんだ。 蒼はこのオルゴールを覚えていた。 蒼と小樽へ旅行した際に購入したのを思い出した。 そして三年分の蒼がどんなに優しく、どんなに自分を愛してたのかを思い知った。 あの時の蒼はもう二度とやってこない。 同時に自分が振られた事も思い出した。 好きな人がいるから、別れよう 蒼のその言葉が懐かしい音色と共に聴こえたような気がした。

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