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第71話 蒼の成功
蒼は達成感と疲労感で疲れていた。
そして定時近くになっても、隣で黒木が鼻歌まで聞こえそうなくらい上機嫌で論文を読み込んでいるので、薄気味悪く訝しんでいた。
ここ最近は暫く学会の準備に追われ、手術も控えていたので、お互い多忙な毎日を送っていた。
周りも同じようなシーズンなのか、最近の医局は殺気立つ程に忙しかった。
「最近、黒木くん元気だけど何かあったの?」
「いえ、何もないです。先輩の準備も終わったので、今日は早く帰りますね」
あまりの上機嫌を怪しんでさりげなく聞いたが、黒木は顔を合わせる事なく、楽しそうにカルテを打ち込んでいた。
蒼は来週からボストンに学会の為、2週間の出張を予定しており、黒木はその手伝いを担っていた。普段のルーチン作業と論文のチェックや準備資料に目を通していたが、どうも最近黒木は浮ついている。
今日は皐月に逢いたい。
電話しようとしたが日中は忙しくて電話できず、また夜でも連絡して来週の出張を伝えようと思っていた。
やっと全ての準備が終わり、この忙しさに付き合ってくれた黒木も解放感に満ち足りているのだろう。
軽く一人で飲んで帰ろうと、関係者用廊下を溜息をつきながら歩いていると、同じように帰る朝倉が警備員室前で名前を書いており、ばったり出くわした。
「菫先生もお帰りですか?」
「ああ、少し飲んで帰ろうと思ってね」
朝倉とはあれから、朝倉から相談を持ちかけられ、食事を数回だけ重ねている。
口数が少なくなっていく皐月とは対照的に、落ち着いているがよく笑う朝倉と話していると、以前の皐月を思い出して懐かしかった。
「あの……僕もご一緒してもいいですか?」
朝倉が俯きながら、聞いてきた。
西日が射し込んでいたせいか、少し顔が赤く見えたが気のせいだと思い、蒼は何も考えずに了承した。
「いいよ、軽く飲もうか」
そう言うと、朝倉は嬉しそうに微笑み返した。
蒼は皐月もこんな風に笑ってくれる時がこの先あるのだろうか、と悲しく思った。
早く飲んで切り上げたら、電話しようかな。
そう思いながら、朝倉と二人で駅まで歩いた。
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