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第82話 癒される缶詰
至れり尽くせりのサービスは荒んだ心と身体を癒して心地よかった。
そして悔しい事に仕事は捗り、締切前に仕上げそうだった。
つまり、桐生の唐突な提案は功を奏したように成果を出していた。
桐生が取り押さえた部屋は現代的なデザインと和の伝統的要素が調和したエグゼクティブスイートだった。リビングルームには、4名用のダイニングテーブル、ゆったりとしたソファやアームチェアあり、全室コーナールームで最高の見晴らしを楽しめ1人にしては十分な広さがあった。
空腹になると美味しいテイクアウトは頼め、夜になれば屋上のバーを堪能できる。
昼はロビーのラウンジで珈琲を飲みながら、窓の景色の四季彩りを楽しめた。
ただ……
ただ場所が蒼と食事したホテルなのが、少し気になる。
前に桐生と食事した際も、蒼はよくこのホテルを利用していたような雰囲気だった。
不安に思ってホテルに到着後、桐生の新しい電話番号を押すとすぐに繋がった。
『あの人は今ボストンにいるんだから、気にするなよ。とにかく気分転換だと思って楽しめ。会計は気にするな。二週間で予約してるから、途中でキャンセルしたらキャンセル代は支払えよ』
そう言って、忙しいのか桐生は電話を切った。
再度掛け直すが、通話中になり電話は繋がらなかった。
一週間と言っていたくせに、二週間に伸びていたのも聞いてない。
なんとも勝手で尊大な男だ。
納得も行かないまま三日経ち、PCをラウンジに持ち込んで珈琲を飲んでいた。
すると背後から肩を軽く叩かれて振り返った。
「皐月さん、おひさしぶりです」
驚いて振り返ると、昨年と変わらない黒木が爽やかににこにこと立っていた。
黒のポロシャツを着てラフな格好をしていた。
神出鬼没の登場に呆気にとられると、黒木は目の前のソファに勝手に腰を掛けた。
「全然会ってくれないから、桐生から聞いて来ちゃいました」
黒木はにこにこと微笑みながら店員を呼んだ。
そして明るく溌剌としたその声で、やってきたスタッフに同じ珈琲を注文した。
黒木は度々電話もかけてきてくれたが、仕事を理由に距離を置いていた。
だが、めげずに食事を誘ってくる。
そういう所も似ていて、蒼を思い出してしまい、会うのを避けていた。
だめだ、まだ引き摺っている……
うんざりしながら、黒木の爽やかな声を前に進まないPC画面を見た。
窓にはギラギラと陽光が射し、うだるような暑さが分かる。
「……久しぶりだね、今日は休み?」
「ええ、今日は休みで桐生を誘ったら忙しいのか、すぐ断られてここを教えてもらいました。どうせホテルで暇してるから連れ廻してもいいって言ってましたよ」
黒木はケタケタと笑い、微笑んだ。
桐生は心配してくれてるのか、けなしてるのか全く分からないが気を遣ってくれた事に感謝した。
久しぶりに会った黒木と仕事や最近の出来事を話した。
さらに仕事や最近の出来事や、ここのホテルのサービスなど色々黒木が一方的に話してくれた。
『……で、菫先輩、今日本に暫くいるらしいですよ』
眠たくなりながら、ほぼ聞き流してPC画面に目を落としていたので、端的に聞こえた言葉に耳が反応する。
「え」
驚いて顔を見上げ、焦る動揺を隠す為にぎこちなく微笑んだ。
蒼と聞くだけで、いつまで経っても緊張しては動悸がする。
「確か、ここのホテルに宿泊してるそうですけど。会わないんですか?」
黒木はきょとんと子犬のように顔を澄ました。
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