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第五章 過去の苦味 四
「我孫子……」
「おお、覚えていてくれたとは意外」
嬉しそうな顔で髪をかきあげて、片手にはコーヒーの缶をぷらぷらさせている。
我孫子は何もかも忘れたくて、つい一度だけ付き合ってしまった男性だった。
「こんなところに何の用ですか?」
「いや、別に。ただどうしてるかと思ってさ、携帯も繋がらないしね」
「もうあなたとは関係ありませんから」
「そんな冷たいこと言わなくてもいいじゃんかよ」
眉根を少し上げて缶コーヒーをすする。
その横をすり抜けるようにして貢はすれ違った。
「真面目そうな顔しちゃって、昔は遊び人だったくせに」
そう言いながら貢の細い腕をつかんだ。
「離せ、もうお前とは関係ないっ」
我孫子のつかんだ手を必死で振り払おうとする。
同時に後悔しても仕切れない昔の過ちを思い出して頭を振った。
まるでもう自分の物かのように腰を引き寄せられ、かつてのトラウマが思い出されて眩暈がした。思わず吐き気のようなものがこみ上げてくる。
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