58 / 137

第五章 過去の苦味 四

「我孫子……」 「おお、覚えていてくれたとは意外」  嬉しそうな顔で髪をかきあげて、片手にはコーヒーの缶をぷらぷらさせている。  我孫子は何もかも忘れたくて、つい一度だけ付き合ってしまった男性だった。 「こんなところに何の用ですか?」 「いや、別に。ただどうしてるかと思ってさ、携帯も繋がらないしね」 「もうあなたとは関係ありませんから」 「そんな冷たいこと言わなくてもいいじゃんかよ」  眉根を少し上げて缶コーヒーをすする。  その横をすり抜けるようにして貢はすれ違った。 「真面目そうな顔しちゃって、昔は遊び人だったくせに」  そう言いながら貢の細い腕をつかんだ。 「離せ、もうお前とは関係ないっ」  我孫子のつかんだ手を必死で振り払おうとする。  同時に後悔しても仕切れない昔の過ちを思い出して頭を振った。  まるでもう自分の物かのように腰を引き寄せられ、かつてのトラウマが思い出されて眩暈がした。思わず吐き気のようなものがこみ上げてくる。

ともだちにシェアしよう!