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第11話
目が覚めたエリファレットは、ラウが何故自分を抱き締めているのかさっぱり覚えていなかった。
目覚めた瞬間、跳ねるようにラウの腕の中から抜け出した。
「な、なんですか!? どうしたんですか!? なんで、こんなことに!?」
銀の毛を逆立て、耳と尻尾をピンっと立てたエリファレットに、ラウは暴れられて驚いた姿勢のままゆっくりと瞬きした。
「落ち着け」
「お、落ち着けません……! びっくりしてます……!!」
暖をとるようにぬくぬくと暖まっていたラウは、突然なくなった温もりを惜しむように、遠くに離れたエリファレットを見る。
(……これには照れるのか……)
触れるだけの可愛らしいものとは言え、唇を合わせているのだ。それに躊躇いはないのに、抱き抱えるのは焦ってみせる。
基準がわからないと首を捻りつつも、警戒するエリファレットに口元が緩む。銀の被毛に覆われて表情は読めないが、ヒト型であったなら幼さの残る顔を真っ赤にしているのであろう。それを想像すると、胸が疼く。
「……抱えたら、暖かそうだと思って」
だが警戒させておくままにもいかず、適当に理由を並べると、エリファレットの立ち耳がピクピクと動いた。立っていた尻尾が下がり、まあるい翠の目がラウの言葉を咀嚼するように一度瞬く。
「……暖かかったですか?」
カツカツと床を鳴らし、エリファレットがラウに近付く。きゅっと小首を傾げる様が幼く可愛らしい。
「あぁ……!」
一瞬で警戒を解いてしまったエリファレットに、ラウは思わず吹き出しかける。警戒を解くつもりで話したが、この警戒のなさは逆に大丈夫だろうかと心配したくなる。
「ならよかったです」
堪えて頷くと、エリファレットがふにゃりと笑ったのがわかった。銀狼の姿で表情など浮かばないはずなのに、声と目だけで嬉しそうに笑っているのが理解出来てしまった。
きゅっと、柔らかな場所を温かなもので握られた。
気付いたらラウは、エリファレットを再び抱き込んでいた。
エリファレットは一瞬ヒクリと耳を動かし尻尾を上げたが、すぐに力を抜いてラウに擦り寄った。銀の被毛がラウの頬に触れ、その奥でゆったりと揺れる毛束がエリファレットの安堵感を伝える。
ラウは揺れる銀の毛束を見てはっと我に返り、落ち着かない手をそのまま銀の被毛に滑らせる。表面を覆う毛は、少し硬くてしっかりしている。
気持ちよさそうに体を預ける温もりに、僅かばかり戸惑う。
「……ディノクルーガーの森に行くことになった」
とりあえず背を撫でる手をそのままに、ミレイアが持ってきた仕事を打ち明ける。遠ざけた手前内容まで詳しく話すことはしないが、些かバツが悪い。だがエリファレットはそれに気付かず、目的地に首を傾げた。
「ディノクルーガーの森、ですか……?」
身動いだエリファレットを離してやれば、するりと猫のようにラウの腕から抜け出る。去っていく温もりを追いたくなるが、エリファレットはすぐそばで人型になった。考えながらヒト型になったせいか、それがデフォルトになったのか、立ち耳とふわっさと揺れる毛束は現れたままだ。
いつまでも廊下で蹲って話すこともないと、ラウは考えこむエリファレットを連れて部屋へと移る。
ラウがソファに腰を落ち着けたところで、ようやくエリファレットが顔を上げた。
「ディノクルーガーの森って……あのディノクルーガーの森ですか?」
エリファレットの指す『あの』がどこにかかるかわからないが、ラウが知る限りディノクルーガーの森は一カ所しかない。
頷くと、幼さの残る顔が難しい表情を刻んだ。
「誰でも行ける場所じゃないって聞いてます。……確か、『森の民』がいるところですよね?」
「あぁ」
自らを『森の民』と称する彼らは、精霊族と呼ばれる特異で特殊ないにしえの種族だ。世界で最も古い種族の一つとされ、その叡智・知識・見識は他のどの種族よりも優れている。森の精霊族とも呼ばれ、ディノクルーガーの森に一つの世界を構えている。
世界の根幹にさえ関わるとされるからか、彼らは他種族との交流を持つことが稀だ。ディノクルーガーの森に精霊族がいることは有名だが、行くことはおろか、近付くことも難しい遥か遠い国だ。
「……行けるんですか?」
場所も名前も知ってはいても、辿り着けない場所がディノクルーガーの森だ。
「向こうからの依頼だからな。俺も初めてじゃない」
これは定期的な依頼だ。一度依頼を受けて以降、ラウ専属の仕事となったと言ってもいいだろう。精霊族では対処出来ない事案が発生しているのだ。
ピクっとエリファレットの耳が立ち上がる。
「僕も行きますよ?」
ラウに名指しで来た依頼だ。ラウが入れないことはないだろう。だが着いていくはずのエリファレットは大丈夫なのだろうか。まさか置いていかれるわけではあるまい。
目の色を変えたエリファレットに、ラウは笑う。
「あぁ、わかってる。お前に一緒に行ってもらわないと、俺が困る」
毒はまだ完全にラウの中から抜けていない。これがなくならない限り、ラウの手足はまともに動かない。依頼をこなすなら、エリファレットは必ず必要だ。
精霊族は癖がある種族だ。不老長寿である故か、ひどく言葉が含蓄帯びて、時に上から目線でさえある。だが決して排他的な種族ではない。彼らなりの理に則って行動している。ラウが連れているエリファレットを、無闇に追い払うことはないはずだ。
「いつ行くんですか?」
ディノクルーガーの森までは遠い。旅の準備が必要だ。
意気込んだエリファレットに、ラウが鷹揚と笑う。
「剣を取りに行ったらすぐに発つ」
依頼がやって来たと言うことは、すぐにでも来いと言うことなのだ。対処出来ずに困っているのに、毎回切羽詰まるまで引き延ばすのだ。
早く行ってやらないと、ディノクルーガーの森が死ぬ。
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