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第21話
蟲の状態を見に聖樹のもとへ行ってきたラウは、いつもあてがわれる部屋に入って微かに柳眉を寄せた。
「いつもより戻りが早いな」
アルベルティーナが我が物顔で部屋に居座っていた。
ディノクルーガーの森は彼女の森である。ラウが勝手知ったるように入ってきた部屋も、彼女から勧められて使っている部屋だ。アルベルティーナが当然のようにいてもおかしくはない。だが、不在の間に居座られているのは少し面白くない。
そして部屋にいるはずの銀色が見当たらなくて、きょろりと視線を走らす。
「エリファは?」
アルベルティーナの声が耳に入らなかったように尋ねれば、案の定彼女は美麗な顔を嫌そうに歪めた。
「まず尋ねることがそれか?」
無礼だろうとでも言いたげな声音に、だがラウは気にすることはない。彼女の気性はよく知っているつもりだ。不遜で無礼であることを、アルベルティーナはさほど気にしない。
アルベルティーナが仕方なさそうに息をつく。
「エリファは休ませておる」
「どこか悪いのか?」
気色ばんだラウに、アルベルティーナはどこか困ったように苦笑して緩く首を振る。
「……疲れが出ておるようじゃ。今は癒しの繭の袂じゃ」
癒しの繭は、一時ラウもいたことがある樹の袂だ。大樹の根に抱かれ、ディノクルーガーの森の神気が繭のように体を包む。心身の回復を図る場所だ。
ラウが大怪我をした時に連れて行かれた場所であるだけに、必要以上に心配をしてしまう。
顔色を変えるラウに、アルベルティーナは重ねて首を振る。
「大事ない。英気を養っておるだけだ。時期目覚める」
「そうか……」
ラウはほっと胸を撫で下ろし、慣れない馬上での移動がたたったのだろうかと臍を噛む。
エリファレットが思いの外楽しそうに目を輝かせていたので、まさか寝込むほど疲弊しているとは思わなかったのだ。
ラウ一人ならなんてことはない道程だったが、エリファレットにはきつかったのかもしれない。帰りはもう少し気を使ってやらねばならない。
早めに仕事を終わらせようと思い、それから今見てきた光景を思い出してラウは柳眉を寄せた。
聖樹がある聖域はそれほど広くはない。六本の聖樹が等間隔に並び、中心には世界を表す巨石がある。六本の聖樹によって世界が支えられている現れであり、巨石には世界の事象が現れると言う。ラウはその巨石に触れることは許されない。もちろん蟲が触れることは言語道断であり、斬り捨てた蟲の死骸が触れようものなら、世界に凶事が起こると脅されている。
蟲は聖樹の枝葉を食う。頭上に蠢く蟲の大群は、いつもより多かった。
「何故あんなに増えるまで放っておいた?」
ラウのもとに依頼が来るのが遅すぎる。通常であれば、もっと早い段階で依頼が来たはずだ。
ラウの非難に、アルベルティーナは申し訳なさそうに美麗な顔を伏せた。
「すまない。妾が少し不在にしていたのでな、対応が遅れた」
「監視を怠ったのか?」
女王がいないと監視が疎かになるなら、彼女の統治もたかが知れている。
辛辣な言葉に、アルベルティーナは民を庇うように首を振る。
「人員の問題じゃ。マルスリオスに赴きたい者は多い。残ってくれた者たちを責められぬ」
彼ら森の精霊族の都とも言うべきマルスリオスは、アルベルティーナが帰郷しないと行く機会がない。故に彼女の帰郷の際には、大勢の森の民の移動が行われる。時期的に蟲の発生も少し先だろうと思っていたので、油断していた。
それに関してはアルベルティーナの咎である。
「いつもより数が多いが、難しいか?」
一人では無理だと言うのなら、ミレイアに人員の追加を打診しなければならない。ディノクルーガーの森に他の種族を多く入れることは憚られるが、蟲退治のためならば仕方がない。
返答次第では考えると言うアルベルティーナに、ラウは冗談だろうと首を振る。
「必要ない。多いと言っても、手に負えないほどじゃない」
幸いにも刀は研いだばかりだ。切れ味は申し分ないだろう。そもそもこの刀は、抜くだけで蟲たちを萎縮させる。
「そうか、助かる。ラウがこのままここに残ってくれれば、妾も皆も安心なのじゃがな」
目を細めてにこりと微笑むアルベルティーナに、ラウは肩を竦めた。
この依頼を受けてから何度目だろうか。最近はよくここに引き止められることが多い。いちいちミレイアを通して依頼することが手間なのだろう。ラウがここにいれば、その分早く対処出来る。
「ここにいたら退屈で死ぬ」
基本平和な森の王国だ。世界で最も古い種族の一つである精霊族は、争いを好まない。世界を静観することを決めている種族だ。世界がヒト族の手に渡ってから、それがより顕著になったと言われている。
そんなところに放り込まれたら、ラウは退屈で死ぬ。
冒険者らしい正直な答えに、アルベルティーナはクスクスと笑う。
「だがいつか依るべき場所として、ここは最適とは思わぬか?」
生涯を冒険者として生きていける者は稀だ。ラウがその稀な中に入れないとは言わないが、体の衰えは心の衰えにも繋がる。いつか帰るべき安息の地として、ディノクルーガーの森はこれ以上ない適地になる。
「妾と共にこの森で生ようとは思わぬか?」
アルベルティーナの手が、そっとラウの手に重ねられる。
ラウは白い繊手を一瞥し、そうだな、と頷く。
「悪くない提案ではあるな……」
今は剣を振るい各地を飛び回る体力も好奇心もあるが、いつか不意に訪れる寂しさや虚しさはあるかもしれない。心穏やかに過ごせる場所を探す時は、いつか来るだろう。
そんな時真っ先に思いつく場所は、ここディノクルーガーの森かもしれない。
だが。
ラウはそっとアルベルティーナの手をはずした。
「俺は精霊族には向かない。今はエリファもいる」
ずっと先のことより、今は目の前にあるエリファレットの問題を片付けないとならない。
殺せと言う彼の要望を、ラウはもう実行出来ない。エリファレットは、それほどにラウの心の中に入り込んでしまった。
目の色が変わったラウに、アルベルティーナは伸ばした手をきゅと握りしめて膝の上に戻した。一度目を閉じて、呼気を落ち着ける。
「ラウは、あの小狼をどうするつもりじゃ?」
わずかに声音を変えたアルベルティーナに、ラウははっと意識を戻した。
「……エリファに親はもういない。銀狼の里があるなら、と思っているが……」
当初の目的は、そうだった。同族がいるならば、帰してやるべきだ。だが殺してほしいと請うエリファレットを、ラウはもう殺せない。探している銀狼の里があったとして、本当に手放せるかどうかも今はわからない。ただ、選択肢の一つとして視野には入れておくべきだ。
古き種族の女王たるアルベルティーナなら、銀狼の里の有無も知っているはずだ。
内心を誤魔化すように言葉を吐くと、アルベルティーナは困った顔をした。
花の顔が暗く沈み、伏せられた睫毛が憂いを帯びる。
「……銀狼の里、と呼ばれるものは存在しない。他の狼族の里なら幾つかあるがな」
銀の狼族は世界各地に分布し、極めて数が少ない。故に銀の狼族は群れを持たない。一家族が最大で最小の群れだ。
「銀の狼族は他の狼族と成り立ちが違う。その祖は、天に仕えし聖獣が人と混じったことから始まっておる。……故に、業が深い」
「どう言う意味だ?」
ラウが鋭く問うと、アルベルティーナは視線を落として睫毛を伏せた。
「あれは絶滅を危惧する種族ではない。絶滅を望む種族だ」
アルベルティーナは伏せていた瞳を上げ、真っ直ぐとラウを見つめた。曇りなき瞳は真摯に澄み、森の女王たる威厳が見えた。
「ラウ、あの子狼は早めに殺しておけ」
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