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第22話

 母に抱かれる心地良さに微睡みながら目覚めた。  エリファレットは繭のように自分を包む森の神気に、ほぅっと溜め息をつく。  アルベルティーナの胸に抱かれて、あのまま眠ってしまったようだ。思い出して、かぁっと頬を赤くする。なんて醜態を晒してしまったのだろうか。  のそのそと起き上がり、伸びをする。フルフルと体を震うと、銀毛が光りを弾いて舞い上がる。  体が軽くなっていた。爪の先まで英気が行き届いて、先の怠さが嘘のようになくなっている。 (ラウはもう帰ってきたのかな?)  どれくらい眠っていたのだろうか。  トントンと軽快な足取りで張り出した木の根を降り、四肢を地面に着ける。  狼の姿だとよくわかる。この森の空気は外の世界とは全く違う。  足裏から伝わる草の感覚と大地の鼓動に、思わず身震いする。体の隅々にまで力が漲り、新緑の匂いが胸を満たす。弾むように心が踊って、神気溢れるこの森を心ゆくまで走り回りたかった。  でも今は、一刻も早くラウに会いたかった。ラウの姿を見て、いつものように抱き締めてほしかった。エリファレットを置いていくことはないと、体感したかった。  アルベルティーナがラウを慕っていると聞いて、おかしいくらい取り乱した。ラウの隣に立っている彼女を想像しただけで、胸が焼け苦しくなる。足元から世界が崩れてしまうような錯覚すら覚える。  それは夢に見る絶望と同じ色をしていて、エリファレットは背筋が凍る。身を引き裂かれる痛みに、心が暴れる。 (僕も、姫さまと同じようにラウが好きだ……)  慕っていると、息をするように口にしたアルベルティーナの透き通る瞳は、うっとりするほど美しく色付いていた。かすかに頬を染めてはにかむ姿の愛らしさは、美しさとはまた違った可憐さを見せていた。 (僕は、どうすればいいんだろう……?)  ラウの元に走り出したかったが、アルベルティーナの姿を思い浮かべると足が止まる。ラウのところに行って、彼女が愛らしく微笑んでいたら。ラウが彼女と同じ色を浮かべて微笑んでいたら。  エリファレットは今度こそ心を潰してしまう。夢が現実になる様を見なくてはいけなくなる。 (嫌だ……!!)  心が張り裂けるのに呼応するように、ピリピリと体中が痛む。狼の姿のまま蹲り、エリファレットは涙がこぼれ落ちそうになる翠玉を閉じる。  拠り所は、ラウが殺してくれることだった。あの時エリファレットは殺されることしか考えられなかった。氷雪の魔物を殺したラウになら、殺されてもいいと思った。  でもラウは、エリファレットが思うよりずっと優しい人間だった。殺してくれと気軽に頼んで、簡単にエリファレットを殺せる人ではなかった。 (ラウはもう、僕を殺してくれないかもしれない……。僕も、未練が出来てしまった……)  ラウのそばにいたいと、ラウの家でずっと一緒に生きていけたら、と思うようになってしまった。  いつか訪れるだろう恐怖に身を竦ませ怯えても、ラウを手放したくない。  殺されるべきだと強く思うのに、どうしても心が納得しなかった。目覚めた時の爽快感が波が引くように去っていき、心が重く体が痛い。  エリファレットはとぼとぼと歩き出し、ラウがいるはずの場所を探し始めた。  よく効く鼻を駆使して探し当てた場所に、果たしてラウはいた。駆け寄ろうとして、そこに森の麗人がいることを知ってエリファレットは思い止まった。  ヒクヒクと耳が動き、中の様子をそっと窺う。  ラウを見つけたからと言って、喜んで中に入っていける勇気が持てなかった。  森の民の部屋はどこも開放的だ。森と一体化しているためか、窓が大きく中の様子がよくわかる。そう意図しなくても、エリファレットの耳は二人の会話を拾ってしまう。 『……いつか依るべき場所として、ここは最適とは思わぬか? 妾と共にこの森で生ようとは思わぬか?』  アルベルティーナの言葉に、エリファレットの心臓が大きく音をたてた。  ラウは、なんと答えるだろうか。  全身が心臓と化したように、早鐘の音だけが耳を支配する。ラウの答えを聞きたくないのに、体が動かなくて耳が物音一つも聞き逃そうとしない。  やがて研ぎ澄まされた耳に入ってきた玲瓏な声に、エリファレットはその場から逃げ出した。  グルグルと、同じ言葉だけが頭の中を回っていた。 『そうだな……悪くない提案だな……』  ラウはアルベルティーナと共にこの森で生きようと承諾した。エリファレットは、独りだ。殺されることもなく、また独りになる。いや、独り放り出されることはないかもしれない。ラウは優しい人だ。殺せないエリファレットを、独りにするようなことはおそらくしない。ずっとそばにいていいと、言ってくれるかもしれない。  だが隣には、あの麗しいアルベルティーナがいる。二人仲睦まじい様子を、エリファレットはずっとそばで見ていなくてはならないのだ。 ―――嫌だ! ―――そんなのは耐えられない!  無我夢中で走り出したエリファレットを、甘くねっとりとした臭いが包んだ。酩酊したように足が絡れ、エリファレットはその場に体を伏せた。 『エリファ、大丈夫か?』  頭上から大好きなラウの声がして、エリファレットは頭をもたげる。翠の目から涙が流れ、銀の被毛を濡らしていく。 「ラ、ウ……ぼくは……ラウが……」  前足を出しかけて、ラウの隣にふわりと立った女性にエリファレットはビクリと毛を逆立てた。 『エリファ、どうしたのじゃ? 大事ないか?』  ラウの隣に立って、ラウと同じようにエリファレットに手を差し出す。  苦しくて、悔しくて、涙が止まらない。 『エリファ、俺はお前を殺さない』 『もともと俺は殺しなんてしたくなかったんだ』 『義務でないなら、もういいだろう?』 『俺を解放してくれ』  散々と降ってくる言葉は、まるで暴力のようにエリファレットに襲いかかった。 『エリファ、俺はこのディノクルーガーの森で、ティナと一緒に、精霊族として生きていく』  ダメ押しのような宣言に、エリファレットの魂が慟哭した。

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