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ヘンナヤツ(4)※
「ケッコン決めてた彼女が、浮気したあげく別れてほしいなんて言って一方的に不満だけぶちまけて出ていった。あの時はあーだった、この時もこうだった、つってさ。昔のことは関係ねえ話じゃんか。終わった話じゃんか。でもあの子の中では終わってなかった。ダムみたいに溜まってたもんがさ、一気に放流される感じ?すげえ、勢いで」
話してみると、結構饒舌だった。というより、それこそダムの放流のようにどんどん口から言葉が溢れてくる。放流どころじゃない、これは決壊だ。
「付き合って5年。安心してたんだろうな。この子は俺から離れないって。何の確証もないってのに。あの子の訴えに気付こうともしなかった俺が愚かだった」
きっと、彼女は俺に何かサインを出していたはずだ。それに気づかず、もう取り返しのつかないところまで来てしまったんだろうなと、涙流しながら泣き叫ぶ彼女を見て思った。彼女が別れを望むのなら、それが彼女の幸せに繋がるのならば、そうさせてやることが、彼氏として彼女にできる最後の役割なのだと思った。
俺が話す間、男は1度も口を挟まなかった。俺の背後で、黙って缶チュウハイを飲むだけだ。俺も男の方に振り向きもしなかったし、同調を求めることもしなかった。一人壁に向かって話しているような感覚だ。
それが有難かった。
おかげで、男がそこにいるもいないも関係なく、話し続けることができた。
「自分に怒ってたのか」
俺が最後まで話しきったと判断したのだろう。久しぶりに男が声を発した。俺も久しぶりに振り向いて、男の顔を見た。
「は?」
「イライラしてただろ」
眼鏡の奥の目が、俺の目を捉えた。同情、哀憫、侮蔑、どの色とも言えない感情の読めない色をしていて、俺は少し困った。同情の色ぐらい浮かべてくれていれば、そんなもんいらねえよ、なんて笑って済ますことができたのに。
だが俺は何よりも、その男の何気ない一言がじわじわと優しく胸にくい込んでくる感覚に動揺していた。
静かに、正確に、分析されているような感覚。丸裸にされたような気分だった。
「だせぇ話は、これでおわり」
気まずい雰囲気になる前に、俺は自ら話に区切りを付けて、ソファを立って伸びをした。
そういえば、話しているうちに少し酔いも冷めてしまった。
「あのさぁ」
「ん?」
「それ、もう一本ある?」
男の手元の缶チュウハイを顎で指す。男は俺の顎の先を目で追って手元の缶チュウハイに視線を落とした。そして顔を上げ、一言。
「ねーよ」
「じゃあ少し分けて」
ベッドに腰掛ける男に歩み寄り、隣に腰掛けた。ぎぎ、と大人2人分の重みに耐えかねて、悲鳴のような古びた音を立てた。
男は、くれ、と手を差し出した俺を無視して、何故か缶チュウハイをサイドテーブルに置いた。意図がわからず「何してんの」と口を開くより先に、俺は男に唇を奪われていた。
レモンの味がした。
甘酸っぱい、ジュースみたいな。
現状に思考が追いつかなくて、阿呆みたいにたっぷり数秒間そのままでいた。そのうち啄むように唇を食まれると、俺は我に帰って男の肩を持って突き放した。
「ばっ...かやろ!おまっ、なに、して、」
「分けてってあんた言ったろ」
「や、言ったけど、んっ」
今度は強引に引き付けて、噛み付くようなキスをしてきた。まるで獣だ。狼だ。押し返そうとしたけれど、狼に逆に押し倒されてベッドに組み敷かれるよう体勢になった。思ったよりも男の力は強くて、押し返せない。せめてそれ以上の侵入だけは許すまいと、キツく唇を結んだ。だが、やばい、やばい、と気持ちが焦るほど、隙は生まれてしまう。
「ん、む ...っん!?」
一瞬の隙を男は逃さなかった。唇の隙間を縫って、ぬる、と男の舌が捩じ込まれた。おいおいまじかよ。バクバクと心臓が鳴る。頭の中で、ビービーと警報が鳴る。男の舌が荒々しく口ん中を蠢いて、俺の舌に絡みつこうとする。
「ふっ、んん!」
「....あのさあ。キス下手なの?」
「はあ!?」
「もっと口開けてくんないと」
「て、めぇ、どういうつもり...っ、」
背筋に、冷たいものが走った。
さっきまでなんの色も放ってなかった男の目が、人が変わったようにギラついていた。...あながち間違っちゃいない。こいつは今獣で、狼だ。だとしたら、こうして組み敷かれて何も出来ないでいる俺は、天敵を前に脚を震わすだけのか弱い羊のような存在だ。
「どうもこうも無くねーか」
「お前、まじで何言ってるかわかんね...」
「香月だ」
「はぁ...?」
「名前だよ」
突然名乗られて反応できるほど今は余裕はない。
「....コウ、ヅキ、」
「そ」
コウヅキが頷いて、眼鏡に手をかけた。少しだけ度の入ったレンズがズレて、フレームから裸眼が覗く。やっぱり顔はムカつくくらい整っていて、目力のあるその瞳で見下ろされると、金縛りにあったように動けなくなった。
「なんで声に出さないんだよ」
「は?」
「話すだけ話してすっきりしたか?ん?」
「っ...」
「肝心なこと何ひとつ曝け出せてねえだろ」
言葉尻は荒いが、コウヅキの声音は優しかった。す、とコウヅキの手が伸びてきて、俺の唇に触れた。指先で、その弾力を確かめるように、下唇を軽擦する。
「寂しかったんだろ」
俺が長々話したことの全てが、その一言に集約されていた。
「...わかってるよ」
「だったら言えよ。叫べよ。寂しかったって。赤の他人相手に何1人で強がってんの?腹立つんだけど」
なんでこいつに腹を立てられなきゃならないんだ。余計なお世話だ馬鹿野郎。そう言ってやりたいのに、コウヅキが紡ぎ出す正論にぐうの音も出ない。
「そーゆーさあ、面倒臭いのいらなくない?もっと楽に生きたら?」
黙り込む俺に、コウヅキは小さく笑いかけた。
「キリタニ」
「....んだよ」
「寂しかったな」
ふわり。またあの香りがした。甘くて、優しい香り。
「.......さみしかった」
口に出してみると、 今までにない開放感に、身体がふわりと浮いた気がした。
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