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R&B(2)
「桐谷さん、桐谷さーん。聞こえてます?」
肩を揺すられながら名前を呼ばれて、俺は目を開けた。目を開けて、自分が眠っていたことに気付いた。どれだけ眠っていたのだろう。視界に写っているのは、空になったジョッキや空いた皿、それから、俺の顔を覗き込むように見ている四十万の顔だ。
...ああ、そうだった。
根塚と四十万と3人で飲んでいたんだっけか。
「しじまぁ」
「はい」
「ねてた」
「はい、ぐっすり寝てましたよ」
「ん、おはよ」
四十万は「おはようございます」と言いながら、可笑しそうに笑っていた。何故笑われているかよくわからないが、なんだか気分がいい。俺はテーブルに突っ伏したまま、四十万につられて笑みを浮かべた。
「あー...すげえ、よった」
「結構飲みましたからね。気持ち悪くないですか?」
「...へーき。まだいける」
「いいですけど、吐く時は言ってくださいよ、俺受け止めなきゃいけないんで」
「だから吐かねえって」
それにしても、すごくいい酒だった。なにせこんなに気持ちよく酔っているのだから。
ふと根塚がいないことに気づいて、俺は四十万に尋ねた。
「ねづかさんは...」
「店の外に出てますよ。もうすぐ着くそうなんで外で待っててあげるって」
「ん...だれが?」
「桐谷さんのお友達ですよ。...あ、もしかして覚えてないっすか?」
思い出そうと思考を巡らせたが、何も思い出せない。俺は首を横に振ると、四十万は困ったように笑った。
「あ、ほら、噂してたら丁度来られたみたいっすよ」
誰が来たと言うのだろう。誰でもいいが、悪いがちょっと今は動きたくないんだ。気持ちのいい酔いの中でもう少しふわふわしていたい。俺はそのままテーブルに突っ伏したまま、適当に「うん」とだけ答えておいた。
こちらへ向かってくる足音と話し声が聞こえてきた。
「すいませんね、お友達なのにわざわざ来てもらって」
「いえいえ、謝るのはこっちですよ。すいません、面倒かけてしまって」
聞こえてきた声は、根塚の声だ。それと、別の男の声。どこかで聞いた事のある声だ。多分、俺はこの声をよく知っている。
「桐谷くん起きてる?お友達、来てくれたよ」
「ん.....」
起きてるよ根塚さん。起きてるけど、もう少し待ってほしい。身を起こすのが億劫なんだ。
「おい起きろ、酔っ払い」
背後から聞こえてきた落ち着いた低い声。やっぱり聞いたことがある。背中に添えられたあたたかい手の感触。この感触も、知っている。
「吐きました?」
「いえ、吐いてないっすよ。眠ってただけでしたんで」
「...よかった」
四十万と男とのやり取りが聞こえる。
「桐谷、大丈夫か」
男が優しく身体を揺すってきた。
ふわり。
嗅いだことのある香りがした。これは、そうだ...香月と同じ、甘い香りだ。
すん、と深く鼻から息を吸う。
落ち着く。俺はやっぱりこの香り、嫌いじゃない。
「こーづき...」
「はいよ」
返事をされて、俺は思わず声のした方に振り向いた。そこにいたのは、黒の短髪に、眼鏡を掛けた男。紛れもなく、香月だった。なんで香月がここにいるんだろうか。わからない。わならないが、香月がここにいるのが嬉しかった。
俺は目の前にいる香月に笑いかけ、服の裾を掴んだ。
「こーづき、飲も」
「飲まねーよ。ほら、帰るぞ」
「どこいくの」
「お前ん家だよ。送ってやるから。...ったくベロベロじゃねーか」
「そう...今日さ、よってんだよ」
ふふ、と俺が笑うと、香月は呆れたように大きくため息をついた。
「はいはい、なんでもいいから帰るぞ。これ以上みなさんに迷惑かけんな。...ほんと、すいません、お騒がせして」
「ああ、気にしないで。今日は好きなだけ飲んでって言ったの僕だからさ。はめ外せたみたいでよかった」
そんなやり取りを、ぼうっと眺めていた。なんとなく会話の内容は聞こえてはいたが、ほとんどが耳を通り抜けていってしまって覚えてはいない。ただ、とにかく気分が良くて、勝手に笑みが零れてしまう。
「ほら、立って。歩けるか?」
歩けるか歩けないかは、正直立ってみないとわからない。けれど俺は首を横に振った。なんだか少し人肌に甘えたい気分だったのだ。
期待通り、香月は肩に腕を回すように言ってきた。隣にいた四十万も名乗り出た。
「俺も肩貸しますよ!」
「悪いね。えーっと...四十万くん、だっけ?」
「そうっす!」
「ありがとうな。あー...さっきも、電話悪かった」
「いいんすよ!すげえレアな桐谷さん見れたんで、むしろ楽しかったっす」
「ははっ、ほんと...勘弁してほしいよ」
なんの話しをしているかわからなかったが、今はどうでもいい。俺は今立つのに必死だ。両腕を支えられ、2人の肩に腕を回された状態で、ふらつく足を踏ん張らせて腰を上げた。
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