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R&B(3)

「桐谷くん、今日はありがとう」 根塚の声がした。声のした方に振り向けば、根塚はいつもの菩薩のようなあたたかな笑顔を浮かべていた。ああ、この笑顔、すごく癒される。俺は根塚にぺこりと頭を下げた。 「ねづかさん、ありがとーございましたっ。また、のみましょ、ね」 「うん、うん、また飲もう。とにかく帰り、気を付けて。香月くんもほんとにありがとう。あとは頼むね」 立ち上がるとやはり一度に酔いが回ってしまう。何度か転びそうになったが、その度に両脇を支えてもらって、なんとか転ばずに済んだ。 店の前まで出ると、そこには香月の車が停まっていた。助手席に座らされた俺は、その柔らかいシートに身を委ねた。ようやく座れた。ふう、と息をついて、背もたれに体重を預ける。外では香月と根塚と四十万が、何やら話していた。何話してるんだろうなとぼんやり思いながら、心地よい浮遊感に酔いしれる。このまま寝たら、さぞかし気持ちがいいことだろう。 「桐谷さん、今日は混ぜてもらってありがとうございました」 開いた車の窓越しに、四十万が言った。俺は重い体を起こして、窓から身を乗り出した。 「しじまぁ」 「はーい」 「また、のもうな」 「もちろんっす!」 四十万が嬉しそうににかっと笑い、俺も頬を緩ませた。四十万とその隣にいる根塚がひらひらと手を振ってきたので、俺も手を振り返した。それから香月に「危ねーからちゃんと座ってろよ」と促されて、俺は再びシートにもたれた。そしてゆっくりと、車がスタートした。 香月の運転する車は、ゆったり揺れて、それが揺りかごのようで心地よくて、眠気が襲ってくる。うとうとしながら、俺は香月の名を呼んだ。 「...こーづき」 「んー?」 「今日さぁ...すげー...たのしかった」 「そうだな、楽しそうだった」 まるでその現場を見ていたかのように言うと、香月は思い出したように笑った。 「ほんっと楽しそうで...可愛かった」 「ん...?」 「なんでもねーよ」 車内では控えめに音楽が流れていた。俺の知らない曲だった。 香月は洋楽が好きで、香月の車に乗ると大抵洋楽が流れていた。R&B調の落ち着いたリズムだ。誰の曲かはわからないが、すごく耳に優しかった。 それが子守唄代わりとなって、更に眠気を誘われた。瞼が重い。助手席では寝たくないのだが、睡魔には勝てそうになかった。 赤信号で車が止まる瞬間や、こっくり、こっくりと首が落ちる度に目を開けるが、またすぐに寝そうになってしまう。 「優」 半分寝ていた頃、香月に名前を呼ばれた。 ゆっくり目を開ける。そちらへ振り向くその前に、そっと顎に手を添えられた。優しく香月の方に顎先を向けられると、ぼんやりした寝ぼけ眼に香月の顔が写った。優しい表情をしていた。やっぱ整ってんなあ、と呑気に思っているうちに、キスされていた。 「.............」 触れるだけのキスを、たっぷり数秒。 あたたかくて、心地よい数秒だった。 「俺も出会えてよかったよ」 「...なに...?」 「なんでもない、忘れて。ごめんな起こして」 わしゃわしゃ、と髪を撫でられた。その手つきがとても優しくて、気持ちよかった。 「寝てろよ、着いたら起こしてやるから」 香月の声がふわふわと耳に届く。眠っていいと言われて、俺は素直に目を閉じた。 胸の中が満たされていく。 薄れていく意識の中、俺は幸せだなと、あたたかい気持ちになった。

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