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R&B(4)
打ちっぱなしのコンクリートの壁。壁にはDIYが施されていて、棚が備え付けられている。棚の上には立派なスピーカーと、たくさんのCD、それと何冊かの雑誌がディスプレイされていた。棚の横には、腰くらいの高さまである観葉植物が置かれており、それがあるだけで部屋の空気が浄化されそうな、青々とした葉を茂らせていた。カーテンから漏れる朝の光を浴びて、キラキラ輝いて見えた。
これは、つい5分ほど前に目を覚ました俺が、最初に目にした部屋の景色だ。
何度も見てきたこの景色は、確かに見慣れた景色ではあったが、ここは俺の部屋ではない。香月の部屋だ。
どうして俺が香月の部屋の、香月のベッドの上にいて、こうして朝を迎えているのか。この約5分、ずっと考えている。だが今のところ、何の進捗もない。俺の頭の中は、まだまだ眠っているようだ。
香月のベッドなのに、肝心の本人はいない。俺の隣には、確かにそこにいた形跡はあるものの、手で触れてみると、もう既に温もりはなかった。ベッドから出て、ある程度時間が経っているらしい。
あ...時間。今、何時だろうか。
俺の頭の傍に、携帯が置かれていた。黒色の、至ってシンプルなシリコンケース。俺の携帯だ。
手に取って時間を確認すると、朝の8時37分だった。
そして、1件のLINEが入っていた。香月からのLINEだった。
『おはよう。起きたらリビングにかもん!』
送信された時間は、8時3分。つい30分ほど前だ。
呼ばれてしまったのなら仕方がない。両腕を伸ばして、大きく伸びをする。寝起きの伸びほど気持ちいいものはないと思う。思う存分身体を伸ばして堪能してから、布団を剥いだ。静かな部屋に、俺の足跡だけが響く。寝室を出て、リビングに向かった。
リビングに向かうにつれ、ある香りが鼻腔を擽った。香月の香りではない。それは、俺の空っぽの胃袋を刺激してきた。朝飯のにおいだった。
「おう、起きたか。おはよ」
キッチンに立つ香月が、俺に気付いてそう声をかけてきた。香月が来ている白Tシャツとラフなハーフパンツは、香月の部屋着だ。やっぱりさっきまで一緒にベッドにいたらしい。
「.....おはよ」
「朝飯、食うだろ」
「...ああ」
火にかけた鍋の前に立っている香月が、オタマを片手に鍋の中身を味見した。
うむ、と満足そうに頷くと、香月は鍋の火を止めた。そしてリビングの入口で突っ立っている俺をソファに座るように促してきた。
「あ.....いや、手伝うから」
だが俺はソファには座らず、香月のそばまで行った。鍋の中をのぞいて見ると、中身は味噌汁だった。豆腐とわかめが入っていた。香月がお椀に味噌汁をよそう傍ら、俺は炊きたての白飯を茶碗によそった。
「二日酔いにはなってないみたいだな」
「え?....あ」
思い出した。
俺は昨日、根塚と四十万と飲んでいたんだ。
「あー...二日酔い、は、大丈夫...」
食べられる分の白飯をよそいながら、俺は昨日の記憶を辿った。正直、記憶は断片的だ。
ただ、とても楽しくて、癒されて、幸せな時間だったのは確かだ。
途中、何故か香月がその場にいて、香月の車に乗せられたところまではなんとか思い出せた。おかげで、俺が今ここにいるわけがようやく分かった。
リビングのテーブルに食器を運んだ。香月は味噌汁の他に、卵焼きと鮭も焼いてくれていた。随分ちゃんとした朝食だったのが嬉しかった。
「簡単で悪いけど」
「いや、十分だろ」
朝起きて朝食ができている。贅沢なことだと思う。
「...いただきます」
俺は香月とソファに並んで座って、2人で朝飯を食べた。
「...うめぇな」
鮭はほどよく塩が効いていて、白飯がよく進む。卵焼きは甘い味付けで、ほんのり出汁の香りもした。味噌汁は、薄すぎず濃すぎずの味付けで、味噌のうまみが舌の上に優しく広がった。
「だろー。たんとおあがり」
「ばあさんかよ」
思わず笑ってしまうと、香月はわざとらしく「そうじゃよ」と嗄れた声を出した。
「...なあ、ばあさん」
「なんだいじいさん」
「あんま覚えてねぇんだけど...昨日、面倒かけたんだよな。悪い」
「いや、俺じゃなくてさ、」
香月は卵焼きを頬張りながら言った。
「根塚さんと四十万くんに謝っとけよ」
2人の名前を滑らかに口にするあたり、昨日の一晩で彼らとコミュニケーションを取ったことは見て取れた。ますます面倒なことをしてしまったと自責の念を抱いた。
「それは...もちろん」
あとで2人に連絡しなければ、と自分に言い聞かせた。
「あのさ」
「うん」
「俺、お前に電話した?」
「ん?覚えてんの?」
「あ、いや、...」
今朝の香月のLINEを見た時、トークルームには着信の履歴も残っていた。日時は昨夜のもので、俺から香月にかけた履歴だった。
そのことを香月に伝えると、咀嚼しながら笑みを浮かべて、納得したように数回頷いた。
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