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R&B(7)

香月は、CDのコレクションが趣味だ。 今どきわざわざCDを買う者が少なくなっている中、香月は敢えてCDを買うのだという。それは本人曰く、“アーティストへの敬意”であり、素晴らしいと思ったアーティストの曲は、CDを購入することで敬意を払うのが彼なりのこだわりらしい。 車の中で流れている曲も、音源はいつでもCDだった。俺だったらいちいちCDを取り替えるのは面倒だと思うが、香月はむしろその手間が良いらしい。 初めて香月の部屋に入った時も、あの壁の棚にディスプレイされた大量のCDにとても驚かされた。コレクションを始めたのは高校時代かららしく、棚の他、部屋の収納スペースのみならず、実家にもたくさんCDを保管してあるとも話してくれた。 正直知らないアーティストの方が多かったが、見ていて面白かった。まるで小さなCDショップに来ているかのようだったからだ。 俺が興味津々でじっくり眺めていると、「このジャケット、最高じゃない?」と、お気に入りのCDを見せてくれたりもした。 なるほどなと思った。 アーティストが作り上げるのは曲だけじゃない。ジャケットも何もかも、彼らの思いやこだわりが詰まっている立派なアート作品なのだ。香月のような価値観を持った者に手に取ってもらえることが、アーティストにとっての幸せなのではないかと思った。 今日の車内でも、香月の好きな洋楽が流れていた。音源は、もちろんCDだ。車の中央の液晶パネルを見てみると、どうやらアルバムらしく、オールリピート再生されるように設定されていた。 そして、車に乗って10分ほど経った頃、その曲は流れた。 それはR&B調の、落ち着いた曲だった。 最初は、どこがで聴いたことがあるなと思った程度だった。しかしタイトルを見ても、アーティスト名を見ても、俺の知っているものではない。隣を見れば、香月は機嫌よくメロディーを口ずさみながら、運転を楽しんでいる。 その姿を見た俺は、香月がこんな風に時々口ずさむのを聴いているから、知っている気になっていたのだろうと判断して、シートに身を委ねた。 記憶が蘇ったのは、その瞬間だった。 昨晩の帰り道の記憶だった。 俺は香月のこの車に揺られていた。車内では、R&B調の曲が流れていた。うとうとしていたが覚えている。まさにこの曲だった。 『優』 香月は俺の名前を呼んだ。それから、俺にキスをしてきた。 とても優しくてあたたかいキスだった。 唐突に蘇った記憶に、心臓がバクバクと鳴り始めた。俺は知らない間に、左胸を押さえていた。 『俺も出会えてよかったよ』 香月の声が蘇る。 仕草も、行動も、鮮明に覚えている。 『なんでもない、忘れて』 まるでそれが暗示だったかのように、俺は今の今まで忘れていたのだ。 そしてその暗示を解いたのは、この曲だった。 「どうした?」 声を掛けられ気付けば、赤信号で車が止まっていた。 「酔った?気持ち悪い?」 香月は俺が胸を押さえているのを心配してか顔を覗き込んできた。その仕草が、昨晩のキスの光景と重なって頭の中が沸騰しそうになった。 ひとまず深呼吸を一つして、平静を保つように努めた。俺はコクリと頷いた。 「...ああ、ちょっと酔った。昨日の二日酔い残ってるみたいだわ。悪いけどコンビニ寄れるか?」 「それはいいけどさ...大丈夫かよ。ひどそうなら帰って休んだ方が...」 「たいしたことねーよ。100円寿司食うんだろ?てか香月、前。信号青だ」 「おっと」 香月が慌てて車を発信させた。 俺は窓を開けていいかと香月に断って窓を開けて、外の風を浴びた。今は車酔いしている素振りをし通すことが、俺に出来る精一杯だ。 最寄りのコンビニについて、俺は車を降りた。香月が俺の姿を目で追うのを背中で感じながら、トイレに直行する。 鏡に写った自分を見ると、随分血色がよかった。明らかに二日酔いの顔ではない。 俺は、指先を唇に触れさせた。 夢でも幻でもなんでもない。あの光景は現実で、昨夜のものだ。 まずい、まずい、まずい...。 みるみる顔が赤くなる。 頭は物凄く冴えていた。アドレナリンは際限なく出まくり、脳味噌がフル回転して、そして一気に今朝の香月との会話までたどり着く。 当然のことのように、今朝香月から聞かされたこととリンクしてしまった。 俺は確信した。 俺は間違いなくやらかした。 第1部、根塚さんが大好きでしょうがない話。 第2部、四十万が可愛くてしょうがない話。 第3部、その他酔っぱらいのしょうもない話-----。 『大したことないってこと。気にすんな』 今朝、香月はそう言った。 恐らくあれは嘘だ。 俺が1番やらかしたのは同僚に対してではない。 香月に対してだ。

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