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6 Ωの目覚め

ラグが出かけていない夜に、広く寂しい寝室で一人潮騒の音を聴きながら、ソフィアリは中々深い眠りにつけずにいた。 切れ切れに見る夢の中では、ソフィアリはラグの腕に抱かれていた。 昼間、例のごとくふらふらと歩いているところに、ラグの腕に日にやけた腕を絡みつけ、豊かな胸を張りつけるようにして歩く、出勤前の酒場の女性に出くわしたからかもしれない。 女の目が嘲け、蔑むようにソフィアリをみた。 中央にいたときに人からそんな顔を向けられたことのないソフィアリは、ひどくショックを受けたのだ。もちろんラグはすぐにソフィアリの元に来てくれたが…… ラグは夢の中ではさらにソフィアリに弁明し、白い足先に口づけて許しをこう。 あんな女のことなど何とも思っていない。 ソフィアリのことが一番大切だと切なげにいい募り、ソフィアリを強く逃さないように抱きしめるのだ。 夢の中には、冷静なもう一人の自分もいて、これは夢だと分かっている。 それなのに熱く張りつめた胸に抱かれ、あのときソフィアリが自ら彼に口づけたのと同じ肉感的な感触でもって唇を舐られると、夢なのか現実なのかも分からなくなる。 ラグに夢の中であっても愛していると呟かれると、身体はとろとろと解けたようになるのだ。 暑さを感じ目が覚めると、後孔から溢れるように愛液が漏れ出し、尻から太ももまで濡れていた。 やはり自分はオメガなのだと泣き出したい気持ちになり、しかし火照る身体を持て余して、誰から教えられたわけでもないのに、指を蜜壺に差し入れる誘惑に抗えない。 「ぁあっ…… あんっ……」 自分の上げる甲高い声にさえ興奮し、どんどんと増やした指でいいところを探して掻き回し 弄り続ける。 浅ましいことにこんなときに思い浮かぶのはセラフィンと強烈な一夜だった。 快感をただ追うためだけに、脳裏に浮かぶ弟の声。 『ソフィーのここ、ぐちゃぐちゃだね。 誰にでも濡らして……  弟のことも誘って…… どうしようもない淫乱』 実際には無かった台詞でもって夢現のセラフィンはソフィアリを責め立てる。 『俺と一緒にいたら、こんな苦しい思いもしなかったのに。俺を裏切るから、こんなことになるんだよ』 「違う!ちがうぅ」 泣きながら絶頂を求めてもう一方の手で反り返る陰茎を擦る。 何度いっても欲しくて欲しくて…… 物足りなさで泣きそうになる。 お腹をいっぱいに満たすものが欲しくて、飢えに誰かれにでも犯されたくなる。 でも真に求めているのはラグの強く熱い身体で。 精を放ち涙でぐちゃくちゃの顔のまま、気を失うようにして眠る。 本格的な発情を前に、気力が尽きていくのは早かった。 翌朝早くラグはソフィアリの様子を確認してからまたリリオンの使いで隣町に行ってしまった。 それを知らないまま、滾々と眠り続けたソフィアリは窶れた体をなんとか起こして青い薄手の足元まである服に着替えると、アスターの妻が皮を剥きもってきてくれた果物を一つ口にした。 それはあの日汽車の中でラグが食べさせてくれた、今も名前も知らぬ果実だった。 ぽろりと涙が零れ落ちる。 ああ、あのときにはすでに、ソフィアリはラグの優しさに触れて好きになっていたのかもしれない。 子どものように駄々をこねて、隠れてはラグに探し回らせて…… ラグの関心をひこうと、つまらないことを繰り返す。 馬鹿みたいだ。愚かすぎて、どこからもいなくなってしまいたい。 発情期前の不安定な心持ちになっていることに、オメガとして育ったわけではないソフィアリは気がつけないでいた。 ただただ自分を責めるようにして、屋敷を飛び出す。 鮮やかなブーゲンビリアの零れ咲く壁沿いにあるいて、丘の小道を心もとない足取りで街に向けて降りていく。 向こうからまたあの酒場の女がやってきた。時折屋敷に市場からの使いを頼まれているからだろう。籠を手にしてこちらに向かってきて、ソフィアリを睨みつけてきた。 「あんたさ、リリオン様の遠縁の子かなにか知らないけど、いいかげんラグのこと煩わせるのやめなさいよ」 真っ赤な赤毛でそばかすの多い顔をした、派手ながら美しい容姿の女だ。面倒見がいいと屋敷のものはいうが、ラグをめぐってソフィアリにはこう辛く当たってくる。 「それに、あんたオメガかもしれないけど、ラグの番になるのを望むのは無駄だからね。 昨日うちの店でアスター様とラグが話をしてたわよ。死んだ奥様以外、ラグはもう番は作らないって」 「えっ……」 青玉のような瞳を見開いてへなへなと崩れ落ちたソフィアリに、女は心から嘲るような笑い声をあげてとどめを刺す。 「そんなだから、大事なことも話してもらえないんでしょ。所詮それだけの関係ってことよ。いいかげんラグに迷惑かけないで大人しく屋敷で寝てなさいよね」 そう言って女は丘への道を登っていった。 ショックで涙がぽたぽた溢れ、青い服に濃い藍色のシミをつくっていった。 ふらふらと立ち上がり、坂を下って歩く。 涙腺が壊れたように、涙が止まらない。 「あれ? ソフィアリ殿じゃないのか?」 いつの間にか初めてこの街を訪れたときに来た隣町へと続く道との合流地点についたようだ。 街から海産物を運ぶ馬車に乗って、あの日御者をしてくれた商会の若者が声をかけてくれた。 男は泣き濡れたソフィアリの美しい横顔とほっそりと白い首筋に釘付けになった。 あれからまだ半年足らずしかたっていないのに。本人は背が伸び逞しくなったと思っていたが、他人が見ると大人びて別人のように匂い立つ色香が溢れる麗人になっていた。 この人と話してみたい、傍にいてみたい。 青年は思わず心を揺さぶられて馬車に乗っていかないかと促してしまった。 荷台は荷物でいっぱいなので、御者の席の隣に座らせる。 ソフィアリは何も言わずに腰を掛けてきて、身体を預けるようにしてきた。 男はあまりにも甘やかな香りに鼻腔をくすぐられ、頭が真っ白になりそうだ。 「た、たまにはキドゥの街に遊びにくるんでもいいんじゃないか。会長も…… 喜ぶだろうし」 様子がおかしいとわかっているのに、美しいソフィアリを連れて帰りたい気持ちでいっぱいになってしまったのだ。 馬車はキドゥの街に揺られて進む。 半刻もすると街中を走っていたが、ソフィアリは御者の肩を借りて意識が混濁するように眠り込んでしまっていた。  キドゥの目抜き通りを商会のある通りまで抜けていくとき、多くの人々の上に甘く官能的な香りを馬車の上から振りまいていたが、ベータである御者の青年は良い香りがするなあと思った程度で黒髪に頬を撫ぜられるたび、どきときと胸を弾ませていた。 それにしても初めてあった時から信じられないほど綺麗な子だとおもっていたが、最近の艶かしさはあの頃の比ではない。 このあたりでは見ない日にやけて浅黒くならない肌は奇跡のようにシミの一つもなく、 真っ青な瞳はこの土地の人々が尊む海を写したようだ。 潮風にパサパサになる自分らの髪と違い、しっとりとした黒髪は艶やかで触れてみたくなる。 頬には涙の跡が日の光を浴びて残っている。 たまに見かけた姿は寂しげで、しかし近寄り難く孤高だった。みていて切なくなる姿に、ハレへやキドゥのよいところをもっと教えてあげたかった。 その美しい人が手の届く位置いる。この奇跡を与えてくれた女神に若者は感謝をした。 生憎まだ仕事は残っているから終わるまでどこかにいてもらいたい。リリオン様の客人であるから会長に言って事務所の建物内で、どこか失礼にならない部屋を開けて待っていてもらわねばならない。 その後でこの街を案内できたらいいなと思うのだ。 御者の青年はくたりと眠るソフィアリを起こすのが忍びなく、そっと空いた席に横たえてあげながら荷を下ろす前に事務所に会長を呼びに駆け込んだ。 「会長早く!」 驚く会長の腕を強引に引っ張って外に出てきた二人が目にしたのは、もぬけの殻になった馬車の座席であった。 ラグはたまたまリリオンの使いでキドゥの街にいた。 商会を通じて電信を中央に打ち、ソフィアリの安否や必要なものの連絡などをすることを請け負っていた。 手紙も商会あてに届いてくるからこまめに引き取りに来る。 今日はその前に市場によっていた。 ソフィアリの好みそうなものが何かあるかを探しに来ていたのだ。 最近塞いで体調を崩すソフィアリを元気づけたかった。 自然と鮮やかな布を飾った店先に視線をやってしまう。ソフィアリはこういった布や細々したものを扱う店を眺めるのが好きだった。 軍にいた時は忙しくて市場をうろついたこともない。誰かを喜ばせたくて品物を探すのは、ついぞ妻にもしなかった行為かもしれない。 ラグは全身を柔らかく包めそうな幾重にも薄い布が合わさった、淡い黄色の織物を買った。 年中暖かいこの地で海へ入るソフィアリを、その布で包んでやりたかったのだ。 最近はラグは忙しくしていて、ソフィアリも体調が優れない日も多く連れ立って出かけることもなかった。 ハレへにきたばかりの頃は二人して海にでかけたり小舟で釣りをしたりして、こうして連れ立ってぷらぷらと市場を歩いたりしていた。 ソフィアリはいつも先を気ままに歩き、少し離れてしまうといたずらっぽい顔をして、ラグがついてきているか確認しては振り返り、目が合うたびに嬉しげに微笑んでいた。 そのさまは眩しく、無邪気で可憐で……  なにより愛おしく感じていた。 黒髪のわが子の姿と重ね合わそうと思い込んでいた部分があった。 いつか我が子が大きく育っときにしてやりたかったことを、ソフィアリと一緒にしようと思っていた。それがなにか罪滅ぼしになる気がしていたのだ。 しかしそれは間違っていた。 丘の上から青く光る海を見下ろし、美しいねと微笑みあったのも。 小舟がラグの方だけ重さで傾いで大きく揺れ、二人とも船から落ち、ずぶ濡れで笑いあったのも。 花畑の中、香り立つ花々の香りに包まれながら寄り添いウトウトと昼寝をしたのも。 全部ソフィアリだった。 誰の代わりでもない。 全部、ソフィアリとの記憶だった。 二人で過ごす日々に心が癒やされていたことを認めたくなかったのだ。 癒やされることで満たされる何かがあることが、失った番や子に対する裏切りのように感じたからだ。 (ルーシャ、ポルト…… すまない。) 俺はまだ生きている。 生きて誰かを愛していける。 ソフィアリを愛することを、どうか許してほしい。 埃っぽい市場の中、テントの間に見える青い青い空を仰ぎ見て、ラグは天召された家族に許しを請うた。 一刻も早くソフィアリの顔を見たかった。 その足元に跪いてこれから先、ずっと愛させてほしいと赦しを得ようと思った。 サト商会にやってくるとなぜか事務所の前は騒然としていた。 大きく目立つラグの姿を見つけた会長と、顔見知りの若者が涙目になってやってきた。 「ラグ殿!!! この度はうちのものがとんだへまをしでかしてしまって…… 勝手にソフィアリ様をこの街におつれしてしまったのですが、姿をくらまされまして…… もしやどこかでラグ殿と待ち合わせをされていましたか?」 「どういうことなのかちゃんと委細を話せ」 牙を向かんばかりのラグの剣幕に二人は震え上がった。 そこに商会の別の若者が飛び込んでくる。 「なんか前の店のばあちゃんが、馬車に乗ってた青い服の人を、男が抱きあげて連れていくとこみたってさ!」 「つ、連れ去られたあ?!」 目を回したようにふらついて崩れ落ちた会長は腰を抜かし、若者の方はもうパニックに陥りわけがわからなくなった。 先程やっとソフィアリがリリオンにとっても賓客であり、この土地にとってとても大切な人だということを会長から聞かされたばかりなのだ。 「とにかく落ち着け。商会にどれだけ人がいるかわからんが、手分けして一つでも良いから手がかりを探してくれ。それからすぐに早馬でアスターをつれてこい。リリオン様にも知らせてくれ。あと、会長。この街でアルファ専用の娼館があればそこに連れていけ」 「そういう店の話は、き、聞いた事もない」 意外な答えだった。ここに来た初日にソフィアリを拐かそうとしていた連中はアルファ専用の娼館の存在をほのめかしていたはずだ。 「で、でももしかしたら…… アスター様がフェロモンの香りがするから、昔からオメガがいるみたいだけど確かめられない施設があるって言ってたな……」 「どこだそこは?」 「この街の領主が経営してる、中央の客向けの宿だ。頼むから商会の名前出したり、面倒は起こさないでくれよ」 今度は会長が涙目になりラグの逞しい身体にすがってきた。 ラグは金色に染まりかけた瞳で皆を睨みつけると、兵を率いていたときのような迫力ある青銅の声で怒鳴りつけた。 「面倒ごとならとっくに起きている。 ソフィアリはハレへの次期領主、しかも中央貴族院議員の息子だぞ。軍部にも親族だらけだ。何かあったらお前の首どころかこの街ごと吹き飛ぶぞ」 ラグの怒号にもはや心臓が止まらんばかりの会長は、地面を這いながら立ち上がり、事務所に戻ると裏返った声で部下に指示し、手広く広げた支店や、この市場全体の長、女神教会の神父などなど、手当たり次第に電信を飛ばしていった。 すぅっと大きく息を吸って吐き、ラグはついに覚悟を決めた。 この能力を使うのは先の戦で孤立した味方を助けに、手勢だけで敵の陣へ乗り込んだとき以来だ。気がついた時には敵の骸が足元に累々と転がっていた。 「おい、お前。もしも俺が暴走して死人がでかけたら、十人がかりで俺を殺すつもりで止めろ」 虹彩から徐々に緑色が吸い込まれるように消えていき、金色の瞳が現れる。 話をしている口元にあるのは狼のような恐ろしい牙。 御者の青年は腰が抜けたまま動けずにいたが、 ギラリとラグの目が光りいきなり青年の胸倉を掴みあげた。 「お前から、ソフィアリの匂いがするなあ?」 グルゥと獣が喉を鳴らすような仕草をしながら目を剥き脅すような声を出す。 足が宙をかきバタバタとするがおろしてもらえず、青年はついに泣き出した。 「ごめんなさい! ソフィアリ様がいつも寂しそうだったから、元気づけようとしただけです! ごめんなさい!」 すると唇をめくるように、ニヤリと牙を見せながら鬼の形相の顔で笑った。 「謝罪はあとだ。お前についたソフィアリの匂いがよくわかる。これで追いかける」 太い足に筋肉の筋が盛り上がり、ラグは駆けだした。まるで野を駆ける猪の走りだ。 ラグの姿はあっと言う間に道の向こうに消えていった。

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