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第3話

あの後起きると和長様も皇后様も居なくなっていた。きっと、庭の散歩にでも行かれたのだろう。 それはともかく、もう謁見の時間だ。陛下をお守りするため付き添わなくてはならない。 (この顔で出席するのは...) 鏡を見て、傷だらけの顔に溜息をつく。だが、もう時間が無い。 急いで私室に戻り、比較的綺麗な着物を羽織った。普段処刑やら和長様との泥遊びやらをしていると、着る物も汚れまみれになる。皇居内の洗濯専用の池で洗うしかないが、私室からはかなり遠いため、あまり行くことが出来ないのだ。 「陛下、蝉です」 大きな扉をノックすると、低い声が聞こえた。 「入れ」 「失礼します」 大理石の奥の、立派な椅子。ドンと構えた陛下には、多くの妖狐がひれ伏す迫力がある。 僕は歩いて陛下の隣に行き、静かに立った。刀はいつでも抜けるようにしてある。陛下が、前を向いたまま言った。 「またあの人に殴られたのか」 あの人、とは皇后様の事だ。 「いいえ」 僕も、前を向いたまま応える。 「...そうか」 ――陛下は僕が嘘をついていることに気がついている。でも、何も言わない。これが、僕と陛下の距離感。皇后様と違って手は出さないけれど、基本干渉もしない。これでいい。この関係は非常に楽だ。 ゴン...と、重い扉を開け、精霊族の宰相が入ってきた。長い髪を綺麗に伸ばしており、ふわふわと宙を浮きながら近寄ってくる。 「お久しぶりです、天皇陛下。本日はお招き頂きありがとうございます」 「ああ。そっちの王はどうだ、また業務を怠ってはいないか」 「それが、お恥ずかしながら三日は眠られたままでして...」 「困ったものだな」 「まったくです」 穏やかな挨拶を終え、二人は早速本題である貿易の話やらをし始めた。まともに教育を受けていない僕にはその内容が全く分からなかった。その上、ずっと同じ姿勢で構えているのは見た目以上に苦痛だ。陛下のお守りの仕事を頂いたのはまだひと月前のことなので、慣れないことでいっぱい。そして、謁見が終わるかという頃。 僕としたことが、小さく咳き込んでしまった。 ス、と宰相の視線が向けられる。 「ふむ...。陛下、こちらの者は酷く傷を負っていますが...」 「それは処刑執行人だ。罪人の返り血が飛ぶこともある」 「左様ですか」 そこで宰相はじっと僕の目を見つめてきた。ぐ、と丸めた指先に力がはいる。 「醜い顔だ。...陛下、私がこの者を洗ってやっても良いでしょうか」 (...!?) 僕を、洗う...? 「どういう事だ。そなたが干渉する必要はなかろう。放っておけ」 陛下も珍しく困惑した様子だ。しきりに髭を触っている。 「そうですね、確かに私が干渉する必要はございません。ですが、その事で陛下に不利益が興じることも無いでしょう」 宰相の真っ直ぐな瞳に見つめられ、陛下はあっさりと頷いた。 「――好きにすれば良い。蝉、大浴場に案内してやれ」 「...はい」 この時、断っておけばよかったのだ。最初から、嫌な予感はしていたのだから。

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