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第15話
小屋は、豚達の高い鳴き声で耳が潰れそうだった。皇后様の言っていたメス豚はすぐに分かった。
僕が担当している、耳に黒い痣がある豚だ。こいつが赤ちゃんの頃から世話をしているから、僕の姿を見つけると、いつものように柵に前足をのっけて「早くこっちに来い」と言わんばかりの鳴き声で甘えてくる。
チッ、と舌打ちをして、柵に頰杖をつく。
「あー…、おい、お前、隠れて隣の豚の餌も食べてたんだろ。太るのが早すぎるぞ、まったく。
僕の仕事をこれ以上増やすのはやめろって、いつも言ってるだろうが」
「キュ?」
「しらばっくれるな、このバカ…。ほんと、僕の言う事きかないよな、お前は」
「キュー…」
「な、お前これから死ぬんだぞ。斬られて焼かれて、それからおっそろしい皇后様に、食べられるんだぞ。 残念だったな、豚に生まれて」
「キィ?」
「……………。」
ああああああ!またこのパターンだよ、僕は!何を言ってどう時間を稼いでも、結局はやらないといけない「仕事」なのに!
じっと瞳を合わせて、余計なことを考えないようにと努力してみる。
――無理だ…。
くそ。今回こそは情を持たぬようにと珍しく名前をつけなかったのに、ダメだ。
ダメだ。ダメだダメだダメだ…………。
「キュー?」
「……やめろって…」
不思議そうに顔をのぞきこまれ、スリ…と頰が擦れる。暖かい。和長様みたいな、子供みたいな、そんな温度。まだ治りきってない傷だらけの僕の顔には、もしかしたらバイ菌が入るかもしれない。
でも、少し硬い毛の感触も、温もりも、長い間世話をしてきた中で、今初めて知った。
あと、少しだけ。少しだけでいいから、このままで。
――ふと、腰に何か重みを感じた。見ると、差していた刀に、彼女がコツンと前足を当てていた。
「………あ、」
もう、駄目だ。コイツは恐らく、とっくの前から。
気づいてるんだ。
そりゃ、そうか。今まで一体、いくつの家畜が殺されるのを、コイツは見てきたのか。
これから、僕は、どうする?
たくさん粘って、まだ一緒に居たいんだと自分勝手に、命を無駄に先延ばして、それで。
もう、コイツは覚悟ができてるのに。
なのに、なんで。なんで、こんなにも優しく、穏やかな目を向けてくるんだろう。
どうして、この命をあの方のために殺さないといけないのだろう?
――そうか。僕は。初めから。
カチャリと、柵にかかった南京錠を解く。刀は元の置き場に戻して。
のそのそと柵から彼女が出てきて、落ち着かないように辺りを見回す。
「………来い」
後ろに引き連れて小屋の裏口から出ると、家畜たちの鳴き声が一層激しくなった。
まるで、自分も連れていけとでも言っているみたいだ。
でも、ダメ。今は、コイツだけ。自分がとんでもなく無責任だと分かってる。でも、今はただ、コイツのことだけ。
「ほら、早く歩け。あー…お前、本当のろいなぁ…。見つかったらどうするんだよ、ほら早く」
解放、だとか、逃がす、だとか。そんな上から目線なものじゃない。
「キュー!」
幸せになって欲しい。
「っと…。皇居の者だ。静かに」
「キュ」
わ、エライぞ、コイツ。言葉が分かるのか、ちゃんと黙っている。
「あーあ、和長様の世話係の小僧はいいよなぁー。ガキのくせに、山ほど仕事貰ってさぁ」
「こらお前それ、蝉のことか?アイツの噂はしない方がいいぜ」
「なんでだよ」
「なんでって、そりゃあ…。確かにアイツはガキだけどもよ、皇后様にキッツイ事ばっかやらされて て、あの年で何人殺したか分かんねえって話だぜ?下手したらお前も斬られるぞ」
「うぉ…。本当か。気をつける」
声が次第に遠ざかっていき、はぁっとため息をつく。
(あほか、誰でも殺す訳じゃなしに……。そもそも聴こえてるっての…。まったく、どいつもこいつも僕の変な噂ばっかり…)
「キュー」
「ん、そうだな、早く行こう。またいつ誰が通るか分からないしな」
キィ、と木製の簡素な扉を開くと、そこには森が広がっている。一応皇居の敷地内だが、ここにはほとんど誰も寄り付かない。普通森に行くとしたら、表門の近くの方の森だ。
ここには豚を食べるような動物も居ないし、僕もいつでも様子を見に来られるはずだ。
ここは、安全地帯。殺される心配もない。
「ほら、行け。もう大丈夫だから」
「キュ!」
「…………また来るからな」
ほら早く行け、と背中をポンと叩くと、のそのそ、と。これまたゆっくり、森の奥へと進んでいった。
「……………………」
姿がすっかり見えなくなった。
「っはー……………」
バクバク、バクバク。心臓がうるさい。ぐっと胸を抑えて、その場にうずくまった。
良かった。無事に、送れた。
本当はもうずっとドキドキして、見つかるんじゃないか、怖くて仕方がなかった。
顔が熱くて、もうずっと、バクバク、早鐘。
良かった、本当に……………。
良かった。
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