9 / 9
第9話
前に向き直ると、俊介がふうっと息を吐いた。
「シートベルトをお締めください」
いつもの俊介に戻っている気がする。ちくりと刺してみる。
「どうしたんだよ。さっきはあんなにピリピリして」
「人混みの中でした。危険がございます」
バックシートに身を任せ、遥は口を尖らせる。
「それにしたって、感じ悪かった」
「申し訳ございません」
沈黙が車の中に落ちた。
「楽しかったですか?」
運転席から諒が訊ねてきた。
「うん!」
遥の声が思わず弾んだ。
「中華街って、本当に日本じゃないみたいなのな。関帝廟ってところにお詣りした。すっごく長い線香を立てたんだ。それから豚まん食べて、粽食べた。タピオカミルクティーも飲んだぞ。あ、海の傍でジェラートも食べた。そうだ、甘栗屋の客引きがしつこくてうるさかった。それから小蓮といろんな店をのぞいて面白かった!」
一気に話したら、息が切れた。肩を上下させる遥に、俊介が俯いている。髪が揺れているところを見ると、笑っているようだ。
「俊介、笑うな!」
「申し訳、ございません。遥様のあまりの勢いに、飲まれてしまいました」
諒と助手席の喜之も小さく笑っているようだ。
「遥様が大変お楽しみのごようすで、安心いたしました」
「うん」
遥は俊介が抱えている、土産の品に目をやった。
「小蓮にお礼をしないといけないよな」
「それでしたら、隆人様とご相談なさってはいかがでございますか? 今夜はいらっしゃいます」
遥はうなずく。
「わかった。そうする」
車は一路東京のマシンションへ戻った。
遥が帰宅すると、隆人が既にいた。初めてのことだ。
「無事でよかった」
安堵の息をついている。
「心配性だな」
隆人に小蓮が土産にくれた唐子の根付けをみせる。
「俺と隆人にだって」
「翡翠か。なかなか上等の品のようだな」
夕食には焼売と小籠包も温め直されて出され、ふたりで味わった。
食事の後はリビングに移り、今日一日のできごとを話した。
「行きの高速で対向車線で事故があってびっくりした」
「お前に何もなくてよかった」
「それから、小蓮と横浜の海に行って――」と、車の中で俊介たちに話したことを、もう少し落ち着いた調子で聞かせた。
「で、小蓮にお礼をしたいんだけど、何がいいと思う?」
「やはり日本らしい物がいいだろう」
「俺としては、できれば見て美しくて、しかも使ってもらえるような物がいいな」
隆人が少し考えてから、口を開いた。
「江戸切子の揃いのグラスはどうだ?」
遥は身を乗り出す。
「それ、どんなの?」
諒が用意したノートパソコンで、隆人が江戸切子を検索してくれた。
「うわっ、綺麗だな」
表面の色ガラスを繊細にカットしたグラスは端正で美しい。伝統的な直線的デザインの物ばかりでなく、大胆な曲線が使われている物もある。
「外商担当者に頼めば、お前が望む物を用意してくれるだろう」
「オールド・ファッションド・グラスが使いやすいかな。赤と青が揃いって感じがするよな」
隆人が笑った。
「夢中だな」
遥は隆人を見返す。
「それだけ今日は有意義で、楽しかったんだ」
「それはよかった」
隆人が遥の唇にキスをした。
「落ち着いてゆっくり選べ」
「そうする」
遥からゆったりと唇を合わせた。
その後、遥はいろいろ迷った上で、同じデザインの薄赤色と瑠璃色のグラスを選んだ。それに手書きのカードを添える。
心を明かせる最良の友と、そのパートナーへ、祈りと愛を込めて文字を綴った。
― See you again ! ―
(おわり)
ともだちにシェアしよう!