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1.ぐるぐる

――その姿には、見覚えがあった。 「……ん?」 緑に囲まれた公園内を、1人で歩いている時だった。 今ではすっかりお馴染みの場所となっていて、特に予定もない日には、決まって足が此処へと辿り着くようになっている。 「あれ、アイツ……」 清々しく額に汗を滲ませながら黙々と走り抜けていく人、愛おしそうに飼い犬を見つめては散歩を楽しむ人、アスファルトの道を様々な存在とすれ違う。 そんな中、なんとなく向けた視線の先に見覚えのある姿を捉え、徐々にそこへと近付いていく。 「お、やっぱり」 ベンチの真ん中に、1人腰掛けていた少年。 きっちりと学ランを着て、サラりと艶のある髪は陽の光に晒されても漆黒を保ち、まだあどけなさを残す顔立ちを繊細に彩っている。 見るからに優等生、どうやら読書中らしく手に持たれていた本へと、視線を注いではすっかり入り込んでいるようだった。 なんかあそこだけ雰囲気違うな、どっか別の世界みてえ。 「よっ」 ゆっくりと距離を狭め果ては目の前へ、未だ気付く様子のない少年の正面に立ち、いつもの調子で軽く言葉をかけてみる。 「……あ」 降り立った一声、ようやく自分の前に誰かが居た事を知ったらしい少年、チラりと顔を上げると共に微かな反応が唇から漏れていく。 「慶史だ!」 ──高久 瑞希。 それが今、指を差し真顔で言い放ってきた少年の、どこか聞き覚えのある名前だった。 「久々じゃん。元気かあ?」 「見たまんまだよ」 それもそのはず、高久ときて思い浮かぶ存在と言えば、俺の中では1人しかいない。 応えるようにヒラヒラと手を上げ、隣へと腰をおろし会話を続けていく中で、視界に入ってくる少年の容姿。 「お? 参考書じゃねえの?」 「んな時までやってられっかよ~! 今は俺の心地良いフリーな時間なの!」 紛れもなく、響の弟ってわけだ。 性格はだいぶ、違うみたいだけどな。 「そういや今日、兄貴は?」 「ん? ちょっとなあ」 「なんだよそれ~! 俺には秘密ってやつ!?」 「ははっ! どうだろなあっ!」 熱心に読んでいた参考書と思っていた本、実は漫画だったらしくこの辺からすでに完璧な優等生からは程遠い。 暫しの間を空け、ハッとしすかさず問い掛けてきた事柄、どうやら響の動向が気になるらしい。 それを分かっていながらも曖昧な返事をすれば、ムッと膨れて声を大にしてくる瑞希。 実はお兄ちゃん大好きだもんな、お前。 「まあいいや。バッタリ出くわさなくて良かった」 「またまた、なんでかな?」 「だ、だってよ~! 分かってるくせに! 慶史のバカ!」 「ははは! わり~わり~」 ホッと胸を撫でおろす瑞希を見て、以前から分かっていることだったけれど、理由について今更しらじらしく聞いてみる。 その瞬間、火を噴くようにボッと頬を染める瑞希、目に見えて焦り出したのがよく分かった。 「て……照れるじゃん! うちの兄貴ちょお美人だからさ!」 「はははは! 相変わらず照れてんのな~!!」 「笑うなバカァ!! 俺はこれでも結構深刻なんだぞ~!!」 美人で綺麗でクールで賢くて不良、とは瑞希談だ。 そんな兄貴のことが本当は心底好きでたまらないのに、まず照れが出てしまう瑞希には顔を合わせる事ですら相当の試練らしい。 そんな瑞希の心中など知るはずもなく、響は響で避けられていると勘違いしていて、あれでも結構傷心していたりする。 ちょっとおかしなすれ違いが生じている、俺の身近な兄弟だ。 「で? お勉強は順調か?」 「誰だと思ってんだ俺を。余裕!!」 声を掛ける前とは全く違う雰囲気を身にまといながら、瑞希は人懐っこい笑顔を浮かべながら返事をする。 今のこの姿こそが、本来の瑞希そのもの。 「塾行ってんだっけか」 「ん~、たまにサボりつつ適度に」 中学生だった頃の響と、今の瑞希が重なる。 懐かしい記憶を辿れる程、その見た目は兄弟ともあって似ていたけれど、内面は全く異なっていた。 この頃こんな笑わなかったもんな響は、いや今も滅多に笑わねえけどな。 「上手いことやってんなあ」 「ふっ、まあな」 熱心に注がれる教育をその身に全て受け入れながらも、自分を落ち着かせる居場所やなにかをきっちり確保している。 その時々の状況に適した顔を使い分け、上手いこと世の中を渡っているらしい瑞希は、かなり器用だと思う。 だからこそ、そう大して窮屈な気持ちになることもなく、いつだって自己を保っていられる。 ちっちぇのにいい性格してるぜ、頼もしい限りだな。 「まあ行けるとこまで行って、嫌になったらレール踏み外すから!」 「ははっ! そっか!」 外見の繊細さからは想像も出来ない程に、この弟はしっかりしていて強かった。 こりゃ心配するだけ損ってやつだぜ。 「まあさ、やりたいようにやっちゃえよ」 「おう!」 「ん~でも、たまにはお兄ちゃんに声位かけてやったらどうだ?」 「んな!! 無理言うな!!」 コイツは大丈夫だなと思う一方で、悪戯な笑みを浮かべながらそれとなく分かりきったことを瑞希に言ってみる。 案の定またワタワタし出す姿は面白くて、ついからかっちまうのな。 「そう簡単に出来ることじゃねえだろうけどさ。でもお前がちょっと声かけるだけで、救われちゃう奴もいるんだぜ?」 「……」 お節介かもしれないけれど、ぎこちない兄弟の間に居てはついそんな事を言ってしまう。 でも、今の言葉に嘘なんてねえよ。 本人の口から直接どうこう聞いたわけじゃないにしても、俺が言うからには間違いないってやつだ。 なんてな、ちょっと自信持ち過ぎか? 「お前に嫌われてる~って思ってるぞ?」 「え! そんなわけねえじゃん!!」 「でも避けてんだろ?」 「避けてな……! いけど実際そう見えるかも……」 こりゃまだまだ時間かかりそうだな。 なんて、瑞希のことを見てはくしゃりと頭を撫でた。 「言っといてよ慶史! そんなんじゃないって!」 「ん~? そりゃお前が言わなきゃ意味ねえだろ~っ」 「でも!」 「俺が言ったとこでな? 寧ろ……」 「あっ!!」 切実に縋ってきた瑞希を宥めつつ言葉を発しかけていたところで、全てを遮るような大きな声が耳を貫いていく。 「どした?」 「お、俺行くな!」 何事かと思う横で、今までとは比にならない位に焦り出した瑞希は、鞄をひっつかんでは勢い良く立ち上がる。 一連の行動を見て、思いつく唯一のことと言えば。 「もうちょいゆっくりしてきゃいいのに」 「出来るかそんなこと! あ! 余計なこと言うなよ慶史!」 「はいはい」 徐々にこちらへと近付いてくる人影が一つ、辿り着かれる前に大慌てで逃げ出すつもりらしい。 鞄の中へ漫画も投げ込んで、去り際に一言忠告が下される。 言えとか言うなとか、忙しい奴だなあと自然と笑みも零れていく。 「じゃな!!」 そして去って行く瑞希、かなり急いでいるのがよく分かる全力さ加減だった。

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