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第32話 目覚めて
目が覚めると見慣れない景色と身体の痛みで何が起こったのかと思った。
「飛鳥!!」
右手を握られている感触とぬくもりが伝わってくる。
ちらりと目線をずらすと、久しぶりに見た顔が泣きそうな表情をしている。
「どうしてそんな顔してるの?」と、聞きたかったが、うまく声が出ない。
体も痛くて動かないので、頭を撫でてあげることもできずにもどかしさを感じる。
「看護師さんとおばさん、呼んでくるね」
別の声が聞こえるが、動かない体ではそちらの人物を確認することはできなかった。
しばらくすると母と女の人がやってきて話しかけてくる。
そこで初めて、自分が今、病院にいるのだと分かった。
目覚めてから数日が経ち、事情が飲み込めてきた。
まず、大会に向かおうとして家を出て、電車に乗り込んだ先で痴漢の現場を目撃してしまった。
痴漢の犯人が逃げようとしたため追いかけた時に階段から落ちそうな女の子を庇って転落し、両脚と左手を骨折し、出血も多かったため病院に運ばれてから手術を受け今に至るということだった。
庇った女の子は特に怪我もなく無事だったと聞かされホッとした。
そして、自分は怪我をしたが幸い利き手は使える。
体のあちこちに打撲や擦傷があり痛むため、出来ることは限られているが四肢が全て骨折してしまわなくてよかった。
そんなことを思いながらぼんやり窓の外を眺めているとカーテンの向こうから声がする。
「あ、飛鳥……入ってもいい?」
「どうぞ」
返事をすると、浅黒い肌の気弱そうな顔がひょっこりと現れる。
「飛鳥……」
名前を呼び、ただ手を握っている。昨日も一昨日もそうして一日過ごした。
「すばくん、どうしたの?きょーちゃんと一緒にいなくていいの?」
ふとそう聞いてみると昴は首を振る。
「京一さんは今、ちょっと気になることがあるからって」
「そっか」
京一がここに来ないことにがっかりしてしまう気持ちもあるが、昴と一緒にいるところを邪魔するのは気が引けるので少し安心した。
「ねえ、すばくん、そまくんはどうしてるか知ってる?」
「颯馬は風邪も治ったから明日には来ると思うって飛鳥のお母さんが言ってた……」
「そまくん、元気になったんだね。よかった」
颯馬の容態を聞いてほっとして思わず顔が緩んでしまう。
「僕、そまくんに勝ってくるって約束したのに、ちゃんと参加することもできないんだから笑っちゃうよね」
冗談のつもりでそう言うと、昴はぼろぼろと泣き出してしまう。
「あ……すばくん、ごめんね。泣かないで……」
利き手でそっと昴の頬を流れる涙を拭うと、昴はその手に自分の手を重ねた。
「飛鳥がいなくなったら、俺……何にも伝えられなくなるって気づいて怖かった……」
「すばくん……ごめん」
「俺こそ、飛鳥にいっぱい酷いことした。ごめんなさい……」
掌で感じる昴の頬の柔らかさと熱が、またこうして昴の傍にいるのだという実感を与えてくれる。
何からどう話していいのかお互いにわからないけど、互いの存在を確認していたくてただ黙って見つめあう。
そのままどれくらい時間が過ぎたのかはわからないが、不意にカーテンの隙間から咳払いが聞こえる。
「……あの、2人とも……俺も入っていいかな?」
顔を覗かせたのは京一だった。
京一はベッドサイドの椅子に腰かけると、いくつかの紙を取り出した。
「飛鳥が見たっていう痴漢の件なんだけど、結局被害にあった男子学生は被害届を出さなかったらしいんだ」
「そんな……どうして?」
「本人に話を聞けたわけじゃないけど多分……男なのに痴漢に遭いましたなんて騒ぎにしたくなかったんじゃないかな」
京一の言葉を聞いて初めて自分のしたことが本当に相手のためになったのか考えさせられた。
自分の正義感を押し付けて嫌な思いをさせてしまったのだろうかと落ち込んでしまう。
「飛鳥、君のしたことはきっと間違いじゃないよ」
そういって京一は励ましてくれるが、被害に遭った相手がそれを望まないのであれば余計なことだったに違いない。
なにより小さな女の子にまで怪我をさせてしまうところだったのだから、尚更自分を許せない。
「そうだ、飛鳥……もう1つ聞いておきたいことがあるんだけど、その時痴漢をしていた男の顔って覚えてる?」
京一が何を言いたいのかわからなかったが、男の顔なら覚えている。
素直に頷くと、京一は1枚の写真を取り出した。
「もし違うならそれに越したことはないんだけど……」
手渡された写真を見て思わず息を吞む。
「きょーちゃん、この人は……何をした人なの?」
そう問いかけるがなかなか返事が返ってこない。京一は昴に視線を投げかけ、昴がもごもごと何かを呟いている。
京一には聞き取れたのか、改めて飛鳥に向き直って代弁する。
「昴くんの初めての相手。その時も痴漢していたから、もし同一人物なら昴くんが被害届を出して罪に問うこともできるかもしれない」
「そう……なんだ?」
昴の初めての相手だと聞かされて正直戸惑いがあった。
それに、被害に遭ったのに今の今までそれを公にしなかったのには理由があるはずだと思った。
「ねえ、すばくん……この人にどんなことされたのか聞いてもいい?」
すると昴はまた口をもごもごさせたり、瞳には涙が溜まっていくのがわかる。
「……ごめん、やっぱりいいや……。僕、ちょっと疲れてきちゃった」
今無理に聞き出すべきではないと判断し、話を切り上げる。
「すばくん、きょーちゃん。これってきっと大事なことだと思うから、思い出すために一晩預かっててもいい?」
尋ねると京一が「もちろん」と答えてくれたので、写真を預かって2人が帰っていくのをベッドの上で見送った。
改めて写真を見ると、そこに写っているのはあの時の男だった。
ただ、自分がそれを断言した瞬間昴はどうなってしまうのだろうと考えてしまう。
自分が救おうとした男の子はそれを望んでいなかった。その先にある現実がどんなものなのか想像しそちらの方が辛いと感じて選んだのだろう。
親に知られたら?学校の同級生からはどういった目で見られる?近所の人に知られたら?
自分ならきっとそんなことは気にせず、犯罪者にはきちんと罪を償うべきだと思うが、昴には果たしてそれが耐えられるのだろうかと思うと簡単に答えを出せなかった。
ぐるぐると悩みながら夜が更けていった。
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