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「いえ!な、なんでも」 「   院長……」  開いたままだったロッカー室から出てきた嘉納が院長を見てはっとなった。  嘉納を見て緊張したオレに気付いたのか、院長は慣れた風にするりと肩を抱いて歩き出す。  声を掛けようとした嘉納よりも早く、院長が告げる。 「嘉納先生、ちょっと谷先生をお借りしますよ」  院長にそう言われてしまえばそれ以上追い縋れなかったのか、嘉納は「はい」と苦味を含ませたような顔で返事をしていた。  肩を抱かれて歩き、角を曲がった所でくるりと体の位置を変えられた。  向かい合い、こちらを見下ろす顔は父親のそれだった。 「トラブルかい?」 「あ、……いえ ちょっと、意見の違いが出まして……」  嘘臭いと思ったが、さっき嘉納に強姦されましたとも言えず、そう言って目を伏せる。 「……ずっと一緒に暮らしていたら、それが嘘かどうかも分かったんだろうけど」 「う、嘘じゃないです!」 「うん?翔希のそんな顔も、章くんのあんな顔も初めて見てね。なんだか退っ引きならない事でもあったんじゃないかなぁって」  どきっとするが……  オレはともかく、嘉納の表情に変化があったとは驚きだ。 「……どうにも、意見が合わなくて 大人気なく言い争いを……」 「あぁそうかい。  ならいいのだけれど   」  そこで一旦区切り、院長は唇を舐めて濡らしてから顔を寄せた。 「父親としては、何か困った事があったら頼って欲しい」  その近さと言葉に、赤い顔がますます赤くなるのがわかる。  院長は父親の顔をして、オレの手を取った。 「君は私の命よりも大事な人なんだから、きちんと相談してくれるね?」 「う……」 「約束だよ」 「   はい」  嘉納に性行為を強要された、なんて事を伝えたらどうなるかを思うと、怖くて出来なかった。  両肩掴まれながら、もう一度念を押すように何事もなかったかと聞かれたが、首を振って身を引く。  父の心配も分かるが、ここは廊下でどこの誰に見られているかわからない。 「人目もありますし」  穏やかな目が寂しげな感情を浮かべて細められる。 「それじゃあ、失礼します」  自分を心配してくれている父の思いを無下にしていることを思うと、申し訳なさに項垂れる思いだ。  赤い顔を押さえながら踵を返そうとした瞬間、どすんと胸に衝撃を受けてよろめいた。 「うっ!?」 「えっ あっ!」  咄嗟に後ろにいた院長が受け止めてくれたらしい、倒れこむことはなかったが、それがなければ危なかった。 「君、危ないよ」 「あっ院長先生っ」  段ボールを二箱積み上げる形で持っている研修医は、院長の言葉に飛び上がったようだった。  立ち上がり、お礼を言って頭を下げた。 「気を付けたまえ」 「 はい、申し訳ありません  」  研修医の言葉尻が萎むのは、まだオレの腰に回されている院長の腕を見たからだと、視線を追って気が付く。 「も、もう大丈夫です!」  慌てて距離を取り、もう一度頭を下げてから動かない研修医の腕の中の段ボールを一つ取り上げる。 「 あの  」 「手伝うよ。  院長先生、失礼します」  切り上げ時だと思ったのか、院長はくれぐれも気を付けるようにと念を押して行ってしまった。 「で?これはどこまで?」 「   いえ、大丈夫です。返してください」  ひやっとして表情を取り繕うことができなかった。 「え  」 「乗せてください」  眇めるような目がこちらをちらりとだけ見るが、そんな視線を向けられる理由がわからず、突然向けられた棘のある声に困惑するばかりだ。

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