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第28話
「いいの? 後悔してない? 私立なんだから、もっと楽な運動部あるんだよ?」
「っス。岸先輩のいる部活がいい」
「……」
「岸先輩?」
「先輩なんて呼ばないで……」とくぐもった声を出す岸先輩。
「ちゃんと先輩っスよ。俺は絶対的な信頼を寄せてる。指示通りにすれば、俺が上手くなるんだから儲けもんっス。それで先輩が影に隠れていられて安心するなら、いくらでも盾になります」
「……っ、影を作るために入部させた上でそんなこと」
ついには、咽び泣きながらこぼす岸先輩。周りがよく見えている聡明な岸先輩が、八島にしか見せない顔かもしれない。
——恍惚な笑みを必死で耐え、それから八島は「じゃあ、岸さん」と呼んだ。
「岸さん、俺、もっと頑張るから。岸さんが罪悪感を感じなくて済むように。それで、俺のできた影で楽しくバレーをすればいい。陽の目を浴びたくないなら、俺が辞めるのは得策じゃないだろ?」
「じ、自分でいう……?」
「あ、俺が居なくなったら他の奴探すのなしっスよ。だから、全部、俺に教えて。俺の一挙手一投足すべて見て」
八島は岸さんの頬を両手で包んで上に向かせた。
「……っ」自分でやった事なのに、思わず生唾を飲む。
「ねぇ、岸さん」
親指で濡れた頬を拭う。それでもまだ、岸さんはされるがまま。八島は岸さんとさらに距離をつめ、右往左往している彼の瞳孔を見る。
「岸さん」再度呼ぶ。語気には優しさと興奮が入り混じって、きっと綺麗な感情でこの柔らかな頬を包んでいない。
「……八、八島……俺、このまま、変わらなくていい、のかな……」
「表舞台に立ちたくないなら、っスね」
「……分からない。ただ、バレーは好きなんだよ……」
「じゃあ、試合に出たいんスね」
未だ揺れる瞳孔を自身のものでも追いながら、「今の岸さんは、勝ち負けに拘らないタイプ。それでいいじゃないっスか。一緒に試合に出ましょうよ」と八島は投げかけた。
すると、拭ってやったところがまた濡れた。
「はは……——っ、たい。試合、出たい、かも……。そうだよ、俺、嫌われるの怖いけど、此処の人らはそこまで稚拙なんかじゃないなんだったなぁ……ははっ……」
幸か不幸か、このタイミングで授業が終わったらしい。鐘の音が屋上でもよく響く。
不自然なほどに縮まった距離から離したくなかったが、校舎内から視線を集めやすい位置にある屋上で、これ以上の接近は岸さんを困らせるだろう。良からぬ噂が好きなのは、大人も子供さして変わらない——不幸は蜜の味。
「——今日の放課後練さぁ、サーブを重点的に——」おそらく、多田先輩の声だ。そレは肉声に近づいている。おそらく、ここへ来るつもりだ。
屋上は立ち入り禁止ではなかったか。自分のことは棚に上げて、叱責の念を抱えた。
仕方なく離れて、誤解を生まない適切な距離をとる。本当に離れがたい。
「ところで岸さん、練習試合どうでした? 俺、練習に戻るんで、顧問にもみんなにも謝罪しなきゃならないから……」
「……ふふ、そうだね。全敗だったよー」
「えっ」
「枇杷中は弱くない印象しか与えてこない厄介な相手だった」
「確かに、言われてみればそうだったなー」と多田先輩がドアを開け入ってきた。
「岸、授業サボってサボり魔の説得をしてたのか。私立の中学生にしてはあまりよろしくない行いだな」
刺を含んだ語調で岸さんを咎めている。だが、その実、八島へ向けられていることを認識した。多田先輩の目線がこちらにあって、睨めつけている。
先刻の距離感を知る由もないのだが、いやにこちらを見てくるので、思わず視線を逸らしてしまった。
「岸、この間の練習試合の件で顧問が呼んでる。今から昼休みの時間に来いってさ」
「あ、うん。ありがとう、行ってくる」
「おう——ん? 岸?」
「ん、何?」
即座に立ち上がりドアノブに手をかける岸さんに、多田先輩は怪訝そうな顔を向けた。だが、それ以上の言葉はなく、「何でもない、行ってこい」とだけいって見送る。
「……」
「……」
(え。多田先輩残んの?)
「……」
「……」
停滞した秋雨前線のようなしっとりした空気であれば、まだマシだった。
「何があったかは聞かないでおいてやるよ」
「え、何のこ——」
すべてを言い切る前に、八島の胸ぐらを掴んで壁に打ち付ける。
「岸はお前を心配してたんだぞ。練習試合の日も来るかもしれないって信じてた。——さっきの一時間で話はついたんだろうけど、岸の悩みの種を増やしてやんなよ。アイツ、気にしいだからよ」
言葉こそ冷静だが、言い様はとても荒々しく、握られた八島の襟からはギリギリと擬音が聞こえてくる勢いだ。
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