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第31話——篠田広大——

 この間の練習試合の内容は悪くなかったはずだった。接戦を強いられる展開で、一進一退の攻防を繰り広げる中、顧問だけは岸先輩だけを終始注視しているように見えた。  多田先輩のエネルギーが切れなければ替えなかったという意思さえ感じる。  その視線に岸先輩は知ってか知らずか、変わらずセッターポジションをそれなりに楽しんでいるようだった。  そして、篠田の中でも不偏妥当となっていた「それなり」という表現が、まさしく岸先輩自身の足を引っ張っていることも気づかぬ間に、憧れの存在と同じコートに立つ歓喜に浸っていた。  八島がこのままフェードアウトしてくれるなら、多田先輩も次第に機会的なセッターとして、岸先輩と実質の交代が実現するだろうと、内心思っていたのだ。  そう、篠田は岸先輩が表舞台に立つことこそが、彼の相応しい場所であると信じて疑わない——練習試合が全敗したとしても。  八島が授業もまともに出ていない噂を耳にして、喜んでいるのは篠田自身、自分くらいだろうと理解していないがら、淡い期待を捨て去る事は出来なかった。  「レフトォォォ!!」放課後練い向かっていた篠田の耳に聞こえた、聞きたくない声が館内から響いた気がした。妙な胸騒ぎが篠田の歩みを駆け足に変える。  館内の出入り口に付近までくると、視界に映り出す憎々しい図体の男が、約一ヶ月のブランクを感じさせない高さからボールを叩き落としていた。  それだけでも不変妥当な日常を崩され、不愉快だったが、もっと重要なのは「それ」を誰が上げたか、だった。 「うわぁ、ただサボってただけじゃなかったんだねぇ。俺がみてた時より飛んでるから、次はもっと高くゆとりのあるヤツを上げよっか」 「っス! もうどんなボールでも良いっスよ。俺、もっと打てるようになりたいから」    「そっかぁ。じゃあ、もう一本」と岸先輩がネット際に立って、ボールを持っている。  息を呑んで、それから篠田は大きな一歩で館内に突入していく。さながら、浮気現場を目撃した交際相手のようだ。 「岸先輩!! 何やってるんですか!!」 「え? あ、篠田じゃん。どうした? 篠田も練習前に打ちたい?」 「いえ、まだ着替えてないんですけど……そうじゃなくて! なんでトス——」 「オープントスだし、いいでしょ! スパイク練の時だって俺と多田でしか上げる人いないんだからさ!!」  至極当然ではある。だが、岸先輩が八島にトスを上げたことが気に食わない部分があまりに大きすぎて、必要以上に岸先輩に突っ掛かる自分がいる。  たしかに、顧問からは、八島にトスを上げるな、という勅命は下っている。以前は大きなオープントスでさえもダメだった。しかし、それは「コンビの」という枕詞がついていて、岸先輩も篠田もそれを汲み取れている。  要は、八島の練習に、岸先輩の完璧なトスは必要ない、というわけなのだ。  だからこそ、岸先輩は篠田の荒れた表情に意図が分からず「顧問にバレても大丈夫だから、安心して?」と傷に塩を丁寧に塗ってくれる。  歯痒くて、歯噛みしたくても岸先輩の顔に泥を塗る行為などできはしない。 「……っ、俺も打たせてもらっていいですか。……こんな部内を取り乱すような奴に、負けたくないですから」  部室へ急ぐ。八島の傍を通り過ぎる際のイビリとして、舌打ちだけはさせてもらった。岸先輩の目の届かないところでしか出せない内弁慶さには、己の目を瞑る。  駆け足で部室へ入り、着替える。二人の独壇場にさせる時間をなるべく少なくしたい。それしか頭にはない。  周りには数名の部員が既に練習前だからとのんびりラリーを楽しんでいる。彼らに非はないが、なぜ二人を野放しにしたのか問い詰めたい気持ちが昂る。 (クソッ!! 八島の奴。のこのこ戻ってきたと思ったら、僕の特等席だったポジションをまんまと盗みやがって!! 俺がどれだけ夢見心地でプレーしてたかも知らないくせに)  紐を結び直さずに、地団駄のように床を蹴って無理にシューズを履いた。  駆け足で戻り、ウォーミグアップを済ませたことにして「俺も打ちます!!」と入って行った。

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