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第32話

「基本に忠実な飛び方をするねぇ、八島って」  足早に戻って行ったつもりだったが、既に岸先輩が八島にバレー講習を始めていた。 「というか、基本に忠実な方が効率がいいんじゃないスか?」 「そうなんだけど、やっぱりクセってあるじゃない? くしゃみの仕方が人それぞれなようにさ!」 「……よく分かんねぇっスけど、クセが出るほどの経験はこれから積んでいきますよ」 「そうだね。じゃあ、良くない癖がついた時だけ基本的なアドバイスはさせてもらおうかな!」 「ッス」 (よく分かんねぇじゃねぇよ! 分かるだろ!! そもそもスパイカーの癖でトスを分けてる精密セッターの凄さを全然わかってねぇ!!)  「……」篠田の額からこめかみに青筋を浮き立たせても、憤懣《ふんまん》とした表情は一切の陰りさえ感じさせない。 「お、篠田早いなぁ! 篠田も手慣らしにオープントス上げよっか!」 「はい! ありがとうございます」  「手慣らし……」とぼやく八島の声を篠田は聞き逃さない。 (そう、僕は岸先輩のオープントスは手慣らしで上げてもらえる立ち位置なんだよ)  「いくよー」岸先輩は軽めにスパイクを篠田に打ち込んで、一本目を触らせる。丁寧にカットしたボールの二本目は、岸先輩が一番輝く瞬間だ。  しなやかな指で、三本目に再度触る篠田に上げられる。——少し回転の混じった素人臭のするボール。  それを御馳走前の挨拶を内心で唱えてから、余裕のあるステップから走り込んだ。 (いただきます)  ライトからめいいっぱいのクロスに打ち込む。自身とは対角線上に打ち分けるクロスだが、篠田はさらに腰の回転を使って、相手のレフトポジションまでひねりを加えた。 「おおー、最初っから飛ばすねぇ」 「いえ……、ナイストスでした」 「じゃあ、手慣らしは必要なさそうだね! 今日も絶好調ということで、特訓してたアレ、合わせちゃう?」 「えっ。今ですか?!」 「あれ? 隠しちゃうの? 練習試合でクイック使ったし、もう解禁されたと思ってた!!」  口元を手で隠す仕草をして見せる岸先輩だが、全く申し訳なさそうだ。 「でも、アレは来年の中体連に向けてのものですので……今は時期尚早というか……まだ未完成というか——」 「未完成??」 「っ、いえ。岸先輩のトスが、ではなくて、僕に至らないところがあるから——」 「俺、合わせられてない?」    どう言い訳をしようとも、岸先輩の顔に泥を塗る結末しか出てこないようだ。  観念するしかないようだ。「……そんなことありません。やりましょう」。 「うん! 人目のあるところで成功してこそ、試合で使い物になるんだから! よし、じゃあ俺から始めるよ」 「はい! お願いします」  ボールを持った岸先輩は適当な高さにトスを上げて、スパイクのモーションに入る——と思った矢先に「あ!」と両手でそのトスをキャッチした。 「八島、よく見てて」 「……ッス」 (スパイクをやめてまで言うことなのか……?)  「ごめんごめん、もっかいするよー」とすぐさまスパイクのモーションに入ったので、先程のカットより神経を研ぎ澄ませて、セッターの位置、角度に気を遣ってカットする。  そして、岸先輩の手から二本目がレフト方向いっぱいに放たれる時には、助走を開始して、速いセットアップにはたき落とすように対応した。  Cクイックだ。平行トスよりもセットアップからスパイクまでの時間が短いのが特徴だ。 「ナイスキー!! やっぱできるんじゃん! 息ぴったしだし! 時期尚早じゃないよ。時期相応だよ」 「そんな……岸先輩が合わせてくれたから——」 「え? 全然!! って言うか褒め合いはこれまでにしよ!」  「八島! お前もこれ、できるようになってもらうからな! センタークイックのレフト側がAクイックだろ? その距離がレフトまで伸びたバージョンが、Cクイックだ!!」と岸先輩は高らかに宣言した。    篠田はさらに続けられる岸先輩の言葉に耳疑った。「八島と篠田にはさらにCクイックの逆、ライト方向のB・Dクイックも習得してもらおうかなって考えてます!!」。 「両刀(二人)×両サイドで攻撃の幅が一気に広がるでしょ!」 「……ん? それってA・B・C・D全部ってことっスか」 「そ! 全部のクイックに入れるようになれたら、顧問のいう全国も夢じゃなくなるよ。ま、四パターン全てだから、相当特訓が必要になるけどね!!」  周りの野次馬も篠田のCクイックが成功して、全国への道筋が開かれたと現実味を噛み締めるように、感嘆の息を溢している。    だが、篠田には後半の会話は聞こえていない。岸先輩の言葉であるはずなのに、だ。  茫然自失とする篠田は、目の前の誇らしそうな顔をする岸先輩が、偽物であればいいと思った。  そして、近くで「っ、特訓、必要ッスね!」と息巻く諸悪の根源。  ——次の瞬間には「岸さん」と呼び方を替えた声が諸悪の根源から聞こえた気がした。

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