42 / 44

第42話

 翌日の放課後練はやけに篠田が大人しい。普段なら無言の圧力やら嫌味やらは垂れてくるものだが、今日はそれが一度もない。  強いて言うのならば、岸さんに要求するシーンが多くなった。さらには、高良先輩や八島とも速攻のバリエーションを提案する始末だ。  昨日の今日でどういう風の吹き回しかと疑念が拭えない。 「大きなチャンスボールは一斉に速攻をかけましょう。その場合のレシーブは後衛に全て任せます」 「なるほど、高いボールだから、俺や八島、篠田が取らなくても後衛二人に取らせれば大体は間に合うな」 「はい、多田先輩どうでしょう」 「うん、篠田の案はみんなで共有しよう」  「それでいいな、みんな」コート内にいるメンバーにも賛否を求める多田先輩。  レギュラーの中での決まり事は、多田先輩と篠田で二分されていく。まだまだバレーについての知識が浅い八島は、決定事項に従うのみ。  しかし、それでも篠田の提案が合理的であることはなんとなく汲み取れるまでに成長していた。  その次の日も、篠田は積極的に攻撃プランを提案してはみんなと共有することを繰り返す。  そこで、高崎先生が間に入るように「じゃあ、下級生も入部してきて人数も確保できたことだし、俺は完全にベンチから見ることにする。AチームとBチームで紅白戦をしろ。公式戦と同じような試合形式をとるから、一セット二十五点マッチの三セット先取」という。 「セッターだが、最初のセットは岸から」  高崎先生の言葉を一番に反応したのは、岸さんではなく篠田だった。整列して何人か先に立つ篠田を見ると、唇を噛んで喜びを殺しているらしかった。 (また岸さん絡みで何か企んでやがったのか) 八島を含めた岸や篠田、高良先輩らを筆頭に試合が始まる。  ラリー展開によって、一試合のうちに早速何度も大きな弧を描くチャンスボールがこちらへ飛んできた。  それを皮切りに一斉に走り出すスパイカーたち。  走り出すタイミングがそれぞれ違う上に岸さんの変幻自在なトスワークで、ブロッカーは的を定めきれず、その度に必ず決めることができている。  皮肉だが、篠田の弾んだ表情と同じ感情を抱いていることは確かだった。  しかし、点を重ねる毎に、ゲームの終盤に近づく度に、篠田の表情は曇っていく。  決してゲーム展開的に悪い内容ではないと思っているだけに、八島は篠田の陰りに違和感を覚える。 「——っ岸先輩!!」  篠田が思わず声を荒らげる。 「今のトスは間違いなく八島にあげるべきだったでしょう!!」  この一言で部内は凍りついた。そして、八島は大罪が暴かれた時のような心臓の縮みを感じる。  それほど、岸のプレーは絶対的な信頼がある。それに対して指摘ができるのは、この中でも高崎先生だけのはずだったのだ。  なぜか八島も冷や汗をかきながら氷点下になった館内の空気感に耐える。 「どうして? 俺の選択間違ってた?」 「っ間違ってません!!」  舌唇を噛んでこれ以上の怒りに耐えているらしい。篠田は苦虫を潰してから、啖呵を切る。「でも、正解じゃないでしょう!!」。 「どういうこと?」 「この十点差はまだ余裕があるとは言い難いです。もう少し決定打になるような一点があれば、相手に精神的負荷もかけられる。だから、スピード勝負で僕を使ったのはすごく分かります」  篠田の拳は握りすぎて爪が食い込んでいる。互いにいがみ合っている仲だが、岸さんに対してここまで牙を向ける篠田が分からない。  だから、止めようがなかった。 「でも、だからこそ! 八島を使うべきだったでしょう! 一つ前のチャンスボールも八島が決めてたんだから、もう一度同じ手を使って捩じ伏せるやり方の方がこの点差を埋められず勝てるやり方だった!!」  篠田が八島の実力を認めていた。何よりそれに驚いた。 「このタイミングで僕を使ったって、ただのトリッキーな得点でしかないんです!! 正直、僕はまだまだ体格も上背も平均的です。なんの脅しにもなりません。だったら、多少勝負をしても八島で行くべきだった」  散々な言われようなので、岸さんのフォローに入ろうと一歩踏み出した時、「行くな」と隣にいた高良先輩が真剣な面持ちでいう。  「今は、行くな」それしか言わない高良先輩の意図は汲み取れない。 (そうは言ったって、俺ら恋人同士だから、助けたいのは当たり前で……)  自然の流れで内心思っていたが、どうして、岸さんが責められているのを助けなければならないのだろう。  岸さんに落ち度はなかったはずだ。言い返しても誰も文句は言わない。  しかし、岸さんが言ったのは「そうだね、ごめん」だった。 「……っ、すいません、言い過ぎました。ナイストスでした」  まだ釈然としない篠田も話を切り上げて、ポジションにつく。  一セット目は勝利したものの、補欠メンバーに二十点も点をやる結果となった。 「——二セット目、多田がセッター」  そして、八島は思い知る。岸さんと多田先輩はもはや同格のセッターであり、監督はどちらが使いたいセッターなのか。  二セット目も勝利。だが、補足すると、危なげも無く、だ。  「三セット目もこのままで」という高崎先生の言葉も、以前から岸さんを正セッターとして起用したがらなかった理由も、納得してしまった。  それから、篠田が岸さんに息巻いていたのも、分かった気がした。もしかすると、岸さんも自覚しているかもしれない。  八島の考えていた以上に、岸さんの対人関係のトラウマは根深いものがあるようだ。それでも、八島の脳裏には自身の影に隠れてこそこそとバレーを楽しむ岸さんが、想像できなくなっていた。

ともだちにシェアしよう!