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案件3-5
そして来る運命の日。
牧は神妙な面持ちの職員に見守られ、緊張した様子でスーツの襟を正す。
メインルームの自動ドアが開き、いつも通りふざけた挨拶で神崎が現れる。後は有言実行。その進行を堰き止めるや、牧はスーツの懐から例の封書を引っ張り出した。
「…社長!これ…」
「あ?何?」
なんか辞表ですが言えず、押し黙ったまま紙を相手の胸に押し付ける。牧場主…神崎はその届け出を受け取ると、表書きのみ確認して小さく首を傾げていた。
「辞めんの?」
「え!…はい、そうしようかと」
「そうなんだ、お疲れ」
お疲れ。
その二つ返事へ、絶海の孤島に取り残された様な顔で牧は立ち尽くす。
約10年無茶振りに付き合い、会社に尽くした労力に対して返ってきたのはたったの4字。素晴らしく簡素な4字である。いや、いやいやいやいや。流石にこれは冗談だと流されたか。本部責任者が辞意を示して、この適当な返答はあり得ない。
牧は咳払いし、どうにか気を取り直して口角を上げる。自分には仲間だっている。背後で窺うソウルメイトたちは、いつでも追撃は可能だと各々の辞表を握り締めているのだ。
「っふ…エイプリルフールは過ぎましたよ社長!これは形式通り書した紛うこと無き辞表ですよ!…」
「そうなん?まあ良いけど、残念だなお前」
「……え?」
お前とは?雇用主でなく、こちらが残念とは?
既に神崎のペースに呑まれ、ぐるぐる渦を巻き始めた思考で牧は恐怖を巡らせる。
辞職はこちらが残念…社長でなく…自分が、なぜ。
「就業中の成果物は会社の資産になるからな、所有権は俺に帰属するってことで」
「あ?はい…そうっすね…システムは全部…一から開発に…なりますが」
「いやいや、システム云々だけじゃないだろ。深夜アニメ化まで行きかけてたんだから」
「へ?」
「いや~まさか手放すとはな~、『シーズン・メモリーズ』」
牧は正しく沈黙した。真に一切の思考を止めて沈黙した。
それから秒針が優に30回は催促したのち。
彼は今期最大のでかい声を絞り出し、「あ!!!!!!!!!!」とたった一音の母音を発した。
牧は、思い出した。
牧は、生涯の愛を込めた自身の傑作を己の就業時間中に作っていた。
その続編も含め、給与支給対象の業務中に。会社への憎悪を孕む余り、そのコストの中で作り上げてしまったのである。
「ヒロイン渚だっけ?捻りがないから続編はNTR要素入れるわ」
「……ヒュッ」
「――…ばかっっっ!!!!!!牧のばか!!!!!何で就業中にエロゲ作るんだ!バカ!!!!!!!」
語彙力を虐殺された間宮が立ち上がり、滝の様な涙を流しながら野次を叫んでいる。
尚、反論はない。牧は既に「NTR」のワードに脳を破壊されており、生ける屍として無力化されていた。
「ちょっと、何でゲームなんて人質に取られてるの?」
「それはまあ…エロゲのない牧なんて具の無いおにぎりみたいなもんだし…」
「牧に謝れ!…しまったあああ!牧が屈したら計画が破綻だ!!」
「何だよ遂に反乱かお前ら。どうせパトリシアちゃんの仕業だろ、この革命少女め」
不本意な渾名で呼ばれた当人は顔を顰め、暴れるギャラリーの合間を縫って兄に詰め寄る。2人並ぶと確かに兄妹感があった。今更な感想を抱く衆目の中、少女はすべての元凶へ一等客観的な思考で苦言を呈した。
「お兄ちゃん、少しはみんなの話も聞いた方が良いんじゃない?」
「お兄ちゃんって言うな!聞いてるだろいつも、聞いた上でこうなってんだよ」
「社長の”こう”の認識を詳しく聞いても良い?」
失神した牧を団扇で扇ぎながら、萱島支部長が分かり切った問いを投げる。何故いつもこうなってしまうのか。数秒で廃人にされた主戦力を前に、闘志を奪われた一同は今日も陰鬱な表情で世界を呪った。
「まあ…別にお前ら辞めても良いけど、多分一週間後にはまた戻ってきてんぞ」
「あん!?」
一喜一憂忙しい部下を目に、雇用主は遺憾な評価で尚も追い打ちを掛ける。なんだコラやるか。最後は物理か。つい数人がプロレスの体勢に入ったが、さっきまで勝利の女神よろしく導いてくれた少女が、申し訳なさそうに冷や水をぶっ掛けてきた。
「なんか…ごめんだけど私もそう思う」
「やめてパトリシアちゃん、急に突き放さないで」
尚、数日後。未だ傷が癒えない萱島は、「戸和くん、俺って酔ってるかな?」とパートナーに聞いてみたところ、彼は無言で優しい笑みをくれた。
思った事は言おうと言ったじゃないか。萱島は指摘しかけたが、彼のそれは表情だけで如実に語っていた。涙が出た。
おわる
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