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第3話

 〝メゾンAtoZ〟は、バースファクター所持者のソーシャルケアを行うNPOが運営と管理を行なっているシェアハウスだ。ここでは発情の症状が重いオメガやアルファが、安定した性交渉やフェロモン感受の機会を確保するために共同生活を送っている。    つまりここでは、住居だけではなくセックスパートナーも〝シェア〟しているというわけだ。日本での発情対策はバースファクター所持者専用のマッチング施設やコミュニティが中心だが、欧米ではむしろこうした住居施設の利用がメジャーだった。    といってもこのシェアハウスはアルファやオメガなら誰でも入居できるというわけでもなく、逆に入居の条件が飲めて審査にさえ通ればベータでも入居は可能だったりする。    公平が事前に取り寄せたパンフレットには、こんな入居条件が書いてあった。 ① 入居者は全ての同居人と等しく肉体関係を共有すること。ただし無理強いは厳禁 ② 避妊を徹底すること。性病拡大防止のため、コンドームの使用は必須とする ③ 妊娠が分かった際、子の処遇は子を妊娠した親の判断に委ねられるものとする ④ 妊娠が分かった際、片親が住人ではないと証明できない場合には出産や中絶、ないし子の養育にかかる費用は全住人で協議の上等しく負担すること ⑤ 三ヶ月に一度は必ずメディカルチェックを受け、異常が見つかった場合は速やかに全住人へ周知すること ⑥ 入居条件①~⑤を遵守する限りは住人同士の恋愛・婚姻についてこれを禁止しない ⑦ ただし、恋愛・婚姻関係を結んだ住人同士が他の住人との性交渉を拒む場合には双方とも速やかに退去すること ⑧ 入居条件①~⑤の不履行が発覚した場合、管理者より警告とペナルティ(罰金)が課せられる場合がある。これに従わない場合は退去処分とする    なるほどこれは、下心を満たすためだけに飲む条件としてはかなりリスキーだな。と公平は舌を巻いた。価値観は人それぞれなんだろうが、ただセックスがしたいだけの不埒者を弾くには十分な条件であるように感じられる。    公平はこのシェアハウスを、自分を大学の助教にスカウトしてくれた恩師からの紹介で知った。近所に家族と住んでいる師曰く「この春からオメガ三人に対してアルファが一人になるらしく、随分困っている」ということだ。恩師は「ノブレスオブリージュ」という安斎家の家訓にして公平の座右の銘を覚えていてくれたようだ。    公平はフェロモンの分泌こそ人より少し多めではあるものの、日常生活に支障をきたすほど頻繁にラットを起こす体質でも、抵抗薬が効きにくい体質でもない。    それに正直なところ気持ちの伴わない相手を、しかも取っ替え引っ替え抱きまくるというのにも抵抗がないわけではない。    しかし、高貴な者には奉仕の義務。である。安斎家のアルファバースたるもの、いかなる時もそのポテンシャルは人や社会の役に立ててしかるべきなのである。人が困っている状況を知ってしまっては、無視などできようはずもない。    条件が飲めるとなれば誓約書と所定の入居希望届を記入し、医療機関の発行するメディカルチェックの結果とともに管理者であるNPO法人へメールか郵便で送付。書類審査が通ると先住者の代表による面接が行われる。    公平の面接を担当してくれたのが美女木だった。当時の公平はまだフランスにいたのでビデオチャットによる面接になったが、ほとんどの場合は対面で行われるらしい。    面接を行う理由は「先住者との性格的な相性を判断するため」だという。性行為という究極のプライバシーを新たに共有する相手になるので、先住者の意思の尊重はあってしかるべきだと公平も思う。    そんな次第で晴れて面接に合格した公平は、二十歳の誕生日である今日この日にメゾンAtoZへ入居するに至った。 「晩飯さ、歓迎会兼誕生日パーティーってことですき焼きの予定なんだけど。なんか嫌いなもんとか鍋に入れて欲しくないもんとかある?」    美女木は点滅する黄色信号を前に車を停め、ちらりと公平の顔を見た。入居希望届に書いた生年月日を覚えていてくれたんだろう。年度始めの新しい環境では気づかれにくい誕生日なので、きちんと場を設けてくれているというのが嬉しい。 「ありがとうございます。すき焼きに入れるようなものであれば、特にダメってものはないんで大丈夫です」 「そっか。じゃあよかった。ちなみにすき焼き以外だと?」 「たらこと、火の通ってない人参ですかね。なんか臭いっていうか、風味が」 「あー。分かる気がする。バースファクターあるとフェロモンに限らず匂いに敏感になるよな。俺も移植やってからやたら気になるようになって、味覚も結構変わったもん」 そう言って美女木はうんうん頷き、信号が青になるとともにまた視線を前方へ戻す。 「へえ……そういうのもあるんですね。なんか、感覚が色々変わるって言うのは聞いたことありますけど」 「あるある。いっぱいあるよ。だいぶ慣れてきたけど、未だに驚くこともたくさんある」    美女木は苦笑いで肩を竦めながらハンドルを切り、ギアを入れ直してアクセルを強く踏み込んだ。右折した先の細く急な坂道で、エンジンは悲鳴のような音を上げ始める。    彼はそもそもベータとして生まれてきたものの大病を患い、アルファのドナーから骨髄移植を受けたことで造血器官から徐々にアルファ化しているのだと面接の時に聞いた。    移植が功を奏し病は寛解したものの、彼は自分の新しい性をコントロールするのに随分苦労を重ねてきたようだ。メゾンAtoZへの入居はラット対策とアルファとしての生活訓練の一環で、この春でちょうど一年になると言っていた。 「でも、美女木さんってコックさんなんですよね? 味覚変わって、お仕事に影響出ませんでした?」 「ケンでいいよ。──仕事はなあ。影響も出たっちゃ出たけど、どっちかっていうといい影響だったな。鼻が利くようになったからかレシピの微妙な違いにも気づけるようになったし、前より筋量も体力もついた。アルファ化してきついこともいっぱいあるけど、そこは良かったよ」    どこか吹っ切ったような表情でそう言って、美女木は笑う。生まれた時からアルファの公平には、本当の意味では彼の懊悩を理解することはできないんだろう。けれど初めてラットを起こした時の戸惑いや恐怖感を思えば、共感できるような気もする。    やがて車は坂の途中にあるコンクリート造りの白い家の前で停まった。図面の上では二階建てだったが、傾斜を利用した半地下のガレージがある。周りは閑静な住宅街であまり高い建物もないので、ルーフトップバルコニーからは星が綺麗に見えそうだ。 「先に車入れてくるから、玄関の前で待ってて」 「分かりました」    公平はトランクからスーツケースを降ろし、外壁と同じ白いコンクリートのスロープを上がって玄関を目指した。アプローチには監視カメラが二台ある。興味本位からあたりを窺っていたら人感センサーのライトが点き、強い光に思わずぎゅっと目を閉じた。 「ごめんごめんお待たせ。──ああ。これ眩しいんだよなあ」    スロープを上がってきた美女木も公平と同じように目を細め、少し愚痴っぽく言う。 「でも、これだけ光量あったら夜は頼もしいですよ。……やっぱり、このくらいのセキュリティは必要ですか?」    公平が声を潜めて尋ねると、美女木もまた少し気まずそうに「そうだなー」と応えた。 「オメガ陣がたまに、変なのに後ろついてこられたりするし……あとご近所に対する防犯アピールって意味もあるらしいよ。最近はあんまりないけど、ここができた頃って『オメガが集まって住んでるせいで地域に変質者が増える』ってクレームもあったんだって」    美女木はなんでもないことのように言ったものの、彼らがかつて浴びせられたという理不尽な暴言に公平は眉を顰めた。 「信じられない言いがかりですね。どう考えたって悪いのは変質者だけでしょう。欧米じゃそんなこと言った方がコミュニティから追い出されますよ」 「さすが。向こうは進んでるんだな。──で、だ。鍵はあとで渡すけど、オートロックだから締め出されないように気をつけて。あと、無くすとドアごと交換になるからな」    絶対無くすなよ。と少しだけ強い調子で言いながら、美女木は厳つい施錠システムにカードキーを差し込んだ。公平はあまり物を無くしたり落としたりするタイプではないけれど、常に身につけていられるようなキーケースを新しく買った方がいいかもしれない。とは思った。

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