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第4話
無機質に感じられた外観とは違い、内装の方はいかにもシェアハウスらしい賑やかなインテリアに溢れていた。壁紙やフロアシートこそモノトーンで纏められているが、そこここを飾っている南米風の鮮やかなウォールステッカーやランプシェードが目を引く。
玄関ホールの壁は一面ブラックボードになっていて、住人同士の伝言板に使われているようだった。「二十八日~三十日 福岡出張 お土産のリクエストは早めに! もも」「仕事立て込んでるんで三月いっぱい弁当休みます。四月一日から再開予定。善」などなど、生活感に溢れた伝言が残されている。
「せっかくだし、なんか書いとく?」
壁の文字を目で追っていたら、美女木にペンを差し出された。あ、じゃあ。とそれを受け取って、公平も「今日からお世話になります。四月二日 安斎公平」と書き残した。
玄関ホールの右手に浴室、左手にトイレがあり、正面ドアの向こうがリビングになっているようだ。美女木はドアの一つ一つを指差しながら、どこに何があるかを簡単に教えてくれた。 「リビングとか水回りとか、よく使う共有スペースは大体一階に集まってる。シャワー室とトイレと洗面所は二階にもあるけど、洗濯機は一階の一台だけだから独占しないようにしてね。洗濯物はあんまり溜めこまない方がいいな」
「分かりました。気をつけます」
「さては、あんま家事しないタイプ?」
「恥ずかしながら……」
自分が使った場所の掃除や、サンドイッチを作る程度の自炊はできる。けれど、そういえば自分の衣食住を率先して取り仕切るのは初めてだ。
アメリカには発情期のなくなった祖父が一緒に来て面倒を見てくれていたし、フランスでは教授の家にホームステイさせてもらっていた。なので公平は、生まれてこのかた手伝い以上の家事をしたことがない。そんなことに今さら気がついて目が泳ぐ。
「……まあ、やってりゃそのうち慣れてくるからさ。分かんないことあったらそのつど誰か近くにいるヤツに聞きな」
そんな公平の様に気づいてか、美女木はどこか励ますように言って公平を奥のリビングに促した。
リビングは吹き抜けになっていて、二階の廊下が回廊状に取り囲んでいる。そのまた奥のダイニングキッチンは、カウンターが広くて使いやすそうだ。
「今日みたいにパーティーしようぜ! って時はリビング使うことが多いけど、普段はみんなダイニングとかカウンターで飯食ってることの方が多いかな。テレビあるし」
リビングにはソファセットとローテーブル、ダイニングには六人がけのテーブルセットがあった。キッチンカウンターの手前には背の高い木製のスツールがあり、ちょっとしたカフェみたいな雰囲気だ。
「ちなみに食事の時間って決まってるんですか? キッチンの使用時間とか」
「まさか。みんな勝手に自分で用意して食ってるよ。生活時間帯も違うし……だから時間に関してはまあ、深夜と早朝は静かに使えってぐらいかなあ。部屋の防音は結構しっかりしてるけど、一階の部屋はやっぱり結構気になるみたいだから」
と言って美女木は、リビングに面した個室のドアを指差した。キッチンの真裏にあたる部屋は現在、唯一の女性住人が使っているという。
公平に割り当てられたのは二階南側の一室で、二面採光の明るい部屋だった。大きな窓の向こうには、暮れなずむ街が綺麗に見える。
ありがたいことに家具付きなので、荷運びは宅配便で済ませた。送ったのはほとんどが研究資料の本や模型とコンピュータで、あとは着替えなどの日用品と趣味のバスケグッズくらいの物だ。国を跨いでの引っ越しも三回めとなると、荷物もだいぶブラッシュアップされてきた。 ひと通りの荷解きを終え鹿児島土産を持って部屋を出たところで、リビングから階段を上がってきた先住者と鉢合わせた。仕事から帰ってきたところなんだろうか。スーツ姿のきりっとした美青年だ。
「──あ。新しく入ってきた……安斎くん」
公平の姿を認めるなり、彼はぱっと目を瞠って微笑みながら発した。きりっとした印象から一転、あどけない笑顔に公平もつられて笑う。小柄ではあるが、随分引き締まった体つきだ。何かスポーツでもやっているのかもしれない。
「初めまして。安斎公平です。今日からお世話になります」
「湯本(ゆもと)和馬(かずま)です。よろしく」
湯本は手にしていたブリーフケースを持ち替え、公平の差し出した手を取った。
「しっかし助かったよ。ケンさん一人でこの先どうなることかと思ったもん。外で済ませてきてもいいんだろうけど、やっぱ何かとリスキーだしねえ。感染症とかさあ」
そう言って湯本は握手した手をぶんぶんと縦に振り、喜色満面で言い募った。あけすけな言い方に少し面食らいはしたけれど、率直な人なんだろうと思えば親しみも湧く。
「それは大変でしたね……あ、これ。お土産のかるかんと宇宙食なんですけど、嫌いじゃなかったらぜひ」
「かるかんと……宇宙食? なんで?」
公平が小分けにした手土産の袋を渡すと、彼は中を覗き込んでしきりに首を捻った。
「俺、大学院でずっと人工衛星とか宇宙船関係の研究してて。ここ来る直前、種子島(たねがしま)の宇宙センターに行ってたんです」
「ああ。なるほど。……ありがとう。いただきます。安斎くんの向かいの部屋の人が星とか宇宙とか好きだから、気が合うかもね」
そう言って湯本は、吹き抜けを挟んだ向かいのドアを指してから「じゃあまた、飯の時に」と公平の隣の部屋へ引っ込んでいく。
星とか宇宙とか好きな人。どんな人だろう。とその人となりに思いを馳せ、公平は期待を膨らませた。他人の判断とはいえ面接を経ている以上、致命的にそりが合わないということはないはずだ。できれば、親密になれたらいいなと思う。
公平が航空宇宙工学の道に進んだきっかけは、小学四年の夏休みに種子島でオメガの少年と一緒に人工衛星の打ち上げを見たことにある。
種子島には祖父の生家があって、子どもの頃から宇宙センターにはよく連れていってもらった。そんな公平が宇宙飛行士ではなく宇宙船の開発者を目指したのは、十年前のその日「オメガは宇宙に行けないんだ」と涙を流した彼がいたからだ。
宇宙飛行士の選抜試験からオメガの受験制限がなくなったのは、つい五年前のこと。当時のオメガはまだ、試験を受けることすらできなかった。
十歳の公平はそのことに大きなショックを受けるとともに、彼の涙へ誓ったのである。 どんな人でも望めば気軽に宇宙旅行へ行ける、そんな宇宙船を作ってみせる。と。
それは公平の、淡く幼い初恋の記憶だ。アルファとしての自覚が芽生えた瞬間の思い出と言ってもいい。彼を悲しみの全てから遠ざけてやりたいと思ったし、その涙を拭った時のすべらかな肌の感触は、今でもふとした瞬間に指先へ蘇ることがある。
彼とはあの日たまたま少しそんな話をしただけで、今となっては顔も朧げだ。名前すら聞かなかった。学生服を着ていたような覚えがあるので、きっと学校のサマーキャンプか何かで来ていたんだろう。
彼が公平より三つか四つ歳上だとすれば、日本で普通に進学していれば大学院生か新社会人だ。もしかしたら今頃、宇宙飛行士を目指して猛勉強しているかもしれない。
とはいえこの世に「星とか宇宙とか好き」な人なんて、割に大勢いるわけで。向かいの部屋の人はもしかしてあの時の……なんてことは、さすがに期待していない。けれど同好の士であることには変わらないので、仲良くできたらいいなとは思う。
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