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第3話

 全面ガラス窓のタワーは、今日も異様なほど輝いている。  電車を降り、スマホで地図を確認しながら、タワーへと向かう。  すると正面の門は物々しい警備がされ、その光景だけでさらに怯んでしまった。  しかし自分は、ここに来るよう指示されたのだ。  何も臆することはない。  己に言い聞かせて、侑李は歩を進めた。  すると音もなく警備員が近づいてきて、身分証明書の提示を求められる。 「これでいいですか?」  おとなしく免許証を差し出すと、警備室のPCで情報を照らし合わせ、すんなりと入場許可が下りた。  あとはもう、おのぼりさん状態だった。  エントランスから、高さ四二〇メートルの天辺まで吹き抜けになった内部は、複雑な螺旋を描くデザインで、感嘆のため息すら出た。  まるでDNAの塩基配列を思わせる造りだ。 「綺麗だな……」  ぽかんと口を開けて上層階を見上げていると、突然背後から声をかけられた。 「枝島さんですね」  驚いて振り返ると、そこには濃紺のスーツを着た品の良い青年が立っていた。 「私、蒼井(あおい)誉(ほまれ)と申します。本日から枝島さんの担当兼カウンセラーを務めさせていただきます。よろしくお願いいたします」 「あ……はい! よろしくお願いします」  自分がなぜタワーに呼び出され、内閣府管轄の国家機関『センチネル・ガイド調査保護庁(Sentinel and Guide Investigation and Protection Agency)』(通称SGIPA)に転属になったのか? きっとこの端整な面立ちをした、線の細い青年が教えてくれるのだろう。 「それでは、本日お越しいただいたご説明をしたいと思いますので、こちらへどうぞ」  爽やかな笑顔で促され、侑李は蒼井とともにガラス張りの高速エレベーターに乗り込んだ。  先ほど自分が歩いてきた道や街が、どんどん小さくなる。きっと高所恐怖症の人だったら、目を瞑りたくなるだろう。 「ところで、僕はなぜタワーに呼び出されたんでしょうか?」  最上階で降り、侑李は隣を歩く蒼井に本題をぶつけた。 「焦らないでください。この方々にお会いになってから、ちゃんとお話しいたしますから」  再び爽やかな笑顔で答えた蒼井は、フロアーの一番奥にある真っ白な両開きの扉の前で止まった。  そして数回ノックすると、中から「入りなさい」と渋みのある声が響いてきた。 「失礼いたします」  扉を開けた蒼井の背後で、侑李の心臓は再び緊張に逸り出した。  中はとても広く、黒色を基調とした社長室のような場所だった。  そこにガラス窓を背にして、闊達な空気を纏った老人が、威厳を放ちながらマホガニー製の机に座っている。  その顔に見覚えがあった。  彼は元参議院議員であり厚生労働大臣まで務めた、福本(ふくもと)是治(これはる)氏だ。タワーの総責任者として所長に就任したと、昨年ネットニュースで読んだ気がする。  その手前に、すっとした立ち姿が美しい、スーツ姿の男が立っていた。  侑李は振り返った男の端整な面立ちに、一瞬にして目を奪われる。  何よりも惹きつけられたのは、野生の獣を思わせる黒く鋭い瞳だ。しかしその色はどこか温かく、目元も優しく眇められていて、涙が出そうなほど温かい思慕を覚えた。  だがそれはほんの一瞬で、はっきりした男性的な顔立ちをした男は、ふいっと興味なさげに侑李から視線を外してしまう。 (あ……)  視線を外されたことに、意味もなく傷ついた侑李は、失恋したような喪失感を覚えた。初めて出会った……しかも同性に興味を失われたからといって、こんなふうに傷つかなくてもいいのに。  それなのに背が高く、抜群のスタイルでスーツを着こなし、くせ毛すら意図的に整えられたヘアスタイルに見える彼は、男も惚れるような整った顔をしていた。完璧なイケメンだ。  侑李も茶色い瞳が大きく、鼻筋も整っているので、周囲からアイドル扱いされていることを渋々自負している。肌も白く童顔なので、余計に可愛く見えるのだろう。  だが、彼は侑李と真逆にいるような美しさを持っていた。  きりりとした太い眉に、はっきりとした二重の目。彫りは深く、肉感的な唇からは大人の男の色気を感じた。  年の頃は二十代後半から三十代前半といったところか。侑李よりも年上であることは、彼が醸し出す落ち着きからも明白だった。 「さ、枝島さんもこちらへどうぞ」 「は……はい」  蒼井に声をかけられ、ゆっくりと端整な男の隣に並んだ。  すると、 「うわっ!」 「――っ!」  チリリッとした小さな閃光が男と自分の間で弾け、驚いて侑李は鞄と紙袋を投げ出した。途端、これまで感じたこともないひどい頭痛に襲われ、その場に跪いた。 「いった……い……」  万力でぎりぎりと絞めつけられるような痛みに、全身から冷や汗が噴き出す。 (なん……だ、これ!? 痛い、痛い、痛い、痛い……!)  隣の男もなぜか頭痛を覚えているらしく、顔を顰めてこちらを見下ろしている。 「ああぁっ!」  痛みはどんどん強くなり、あまりの激痛に意識が飛びそうになった時だ。 「――!?」  急に男が膝を折って、侑李を力いっぱい抱き締めてくれた。  すると先ほどまでの頭痛は一瞬にして消え去り、代わりに彼の体臭なのか、すっきりとした温かな香りと、心地よい体温がじんわりと伝わってきた。 「大丈夫か?」  声をかけられ、何度も男に頷いた。  蒼井が駆け寄ってきて、ふらつきの残る侑李の身体を支えて立たせてくれる。 「やはりな」  正面の机に座っていた福本は、何かを確信したように大きく頷いた。 「おい、じじい! 番同士が出会うと反応があるって言ってたけど、こんなにも強い頭痛がするなんて、聞いてねぇぞ!」 「そう怒るな、敦毅。センチネルとガイドの番は、互いを認識する時にさまざまな反応を起こすんだ。それがどんな反応なのか、儂らにもわからん」 「チッ」  忌々しげに舌打ちした敦毅と呼ばれた男は、また興味なさげにそっぽを向いてしまった。 「あ、あの……」 「なんですか?」  弱々しい侑李の声に、蒼井が微笑んでくれた。 「今、センチネルとガイドの番……という言葉が聞こえたのですが」 「はい。説明が遅くなってしまいましたね。ここにいらっしゃる上條敦毅さんはセンチネルで、枝島さんの番です。枝島さんは、先日の国家公務員入庁検診でガイドであることが判明しました」 「……は?」  この話に、自分でも目が丸くなっているのがわかった。 「おめでとうございます。お二人は今の共鳴反応から、『運命の番』であることが証明されました」 「ちょ、ちょっと待ってください!」  この話に、まったくついていけなかった。 「僕は、子どもの頃に受けたバース性判別検査でミュートでした。それなのに、突然ガイドだなんて。きっと何かの間違いです!」 「確かに珍しいケースなのですが、枝島さんは後天性のガイドであることがわかっています。お身内にガイドはいらっしゃいませんか?」 「祖母……がガイドです」 「ということは、おじい様はセンチネルですか?」 「はい……でも、両親も僕の兄弟もみなミュートです」 「そうですか。ですが、ガイドは遺伝が多い傾向なので。おばあ様がガイドだったとすると、枝島さんがガイドに後天したことも納得できますね」 「僕が……後天性のガイド?」  先ほどとは違う頭痛を感じて、侑李は混乱する頭に手を添えた。  すると『枝島侑李』と名前が書かれたバース性判別検査の結果表を、ずいっと目の前に突き出される。 「よかったな、侑李。これでガイド特別手当がついて、給料が三倍に跳ね上がるぞ」 「は?」  自分の人生を左右する大事な時なのに、手当だの給料だのと世俗的な言葉が降ってきて、反射的に顔を上げた。 「上條敦毅だ。お前の番でセンチネル。これからよろしく」  結果表を突き出してきた男は感情の読めない瞳で、真っ直ぐこちらを見つめてきた。  その視線に胸がときめく。  しかも上條には、なぜか懐かしさや根拠なき信頼まで感じて、さらに頭は混乱した。 「大丈夫ですか? 枝島さん」  心配げな蒼井に顔を覗き込まれ、首を横に振った。 「すみません、まだ頭がついていかなくて……僕は、本当にガイドなんですか?」 「そうだって言ってんだろ。さっさと認めろよ、めんどくせぇ男だな」 「なっ!」  盛大に上條にため息をつかれ、カッと頬が熱くなる。 (もしかしなくても、馬鹿にされたっ! しかも、さっきから僕のこと呼び捨て?)  戸惑う己を嘲るように一蹴され、侑李の中の負けん気が顔を出した。  口が立つ兄弟に囲まれて育ったこともあってか、侑李は言うべきことはハッキリ言う性格だった。 「失礼ですが、僕が何で悩み、何で落ち込もうとあなたに関係ありません。それに初めて会った人を呼び捨てにするとか……少し礼儀に欠けてませんか?」  睨みながら言い放つと、上條は口角を意地悪く上げて笑った。完全に侑李を見下している。 (なんなんだ、この男!)  ガイドなんて、本当に最悪だ! そう思いながら、きつく唇を噛みしめた。  世間での……いや世界中でのガイドに対する扱いのひどさは、絶望を覚えることしかできない。  最近ではセンチネルを支えて助ける者として、先進国では敬われるようになったガイドだが、発展途上国や因習の残る地域では、まだまだ立場は低く、蔑まれ、偏見に晒されることが多々あった。  ガイドは、己の身体を使ってセンチネルを慰める。  このことからガイドは、昔から愛人や売春婦のようなものだと考えられてきたのだ。  今でこそ、数年前に改定された婚姻法により、同性同士でも夫婦になれる世の中になったが、それ以前は優秀なセンチネルと凡人並みのガイドは身分差が激しく、異性同士でも結ばれることがほとんどなかった。 「でも、本当によかったです。DNAマッチングセンターから、上條さんの番が見つかったと聞いた時はどんな方だろうと思いましたが、枝島さんのように素敵なガイドが運命の番でほっとしました」  険悪な空気を醸し出した上條と侑李の間に入るように、蒼井が笑顔を作った。 「まぁ、運命の番っていわれたら、そこら辺のガイドに回復してもらうのとは比べものにならないほど力が漲るらしいからな。そんなん聞かされたら、とんでもない変人じゃない限り手放せねぇよ」 「――センチネルの、そういう『選択権は自分にある』みたいな考え方。大嫌いなんですけど」 「は?」  呟いて、侑李はきつく両の拳を握った。上條の眉間に皺が寄る。 「ガイドにだって、ミュートにだって選択権はある。もちろん僕にだって、あなたの番になるかどうか、選ぶ権利はあるんです」 「へぇ、言うじゃねぇか。確かにガイドは、センチネルを癒したところでなんにも自分にメリットはねぇからな。でもその分、この世で一番幸せだっていうぐらい愛してやる。お前が望むなら、この世の富をすべて与えたっていい」 「あなたの愛なんていりません。それに、この世の富って……あなたの職業はなんですか?」 「国家公務員だけど、何か?」  ニヤリと笑われて、からかわれたと感じた。  いち公務員の上條の給料など知れている。侑李だって同業者なのだ。それを一国の王のような口振りで……呆れるほかない。 (見た目はいいかもしれないけど、こんなに失礼で嘘つきな男と番になるなんて、絶対に嫌だ!)  侑李は、心の中で思いっきり舌を出した。  番とは、DNAレベルで相性の良い二人を指す言葉だ。国家機関のDNAマッチングセンターによって、番となる相手が見つかる。  しかも運命の番とは最高の相性とされ、センチネルもガイドも互いの力を一番引き出すことができると聞く。  世の富貴な人間は、運命の番が多いという現実が、このことを裏づけているといえるだろう。それこそ本気を出せば、この世の富をすべて手中に収めることも、容易いのかもしれない。 「では『ガイド保護法第三条二項』に則って、侑李さんには今日からタワーで力の制御法や活用法について学んでいただきます。学習期間は二週間ほどですが……その期間はタワー内の宿泊施設を利用してもらい、外部との接触も断たれるので。ご家族に連絡してもらっていいですか?」 「えっ? 家に帰れないんですか?」  驚いて蒼井に訊き返すと、困ったように微笑まれた。 「はい。バース性が後天した方は、現実を受け入れられない方が多くて。自宅に帰る振りをして逃げてしまう方もいらっしゃるので……数少ない例ですが、念のため」 「確かに……逃げ出したくなる気持ちもわかります」  上條への憤りで一時忘れていたが、自分はミュートではなく、センチネルに搾取され、社会的にも下層に位置するガイドだったのだ。  このことを、両親や兄弟になんと伝えよう?  田舎で隠居生活を送っている祖父と祖母に、とても相談したい気持ちになった。  ――おじいちゃんはどんな気持ちで、ガイドだったおばあちゃんと結婚したの?  ――ガイドだったおばあちゃんは、どれだけ世間から冷たい目で見られて、生きづらさを感じた?  これまで考えてもこなかったことに、現実が足元から崩れていく気がした。  はっきりいって、ショックだった。  自分が、後天性のガイドであったことが。 「大丈夫か? 侑李」  混乱して再び頽れそうになった侑李の肩を、太くて逞しい腕が抱いてくれた。その感触にハッと現実に引き戻される。 「だ、大丈夫です! 気安く触らないでください!」 「本当にツンツンとしたガイドだな」  腕を振り解くと、目を見開いた上條が次の瞬間ニヤッと笑った。 「手懐け甲斐がありそうだぜ」  その笑みに、また負けん気が顔を覗かせる。 (手懐けるってなんだよ! 見下しやがって。僕はペットなんかじゃないぞ!) 「さ、さぁ! 面会も済んだことですし、お部屋にご案内しますね」  床に放り出されていた鞄と紙袋を拾ってくれた蒼井が、カードキーを手に慌てて微笑んでくれた。  運命の番といったって、相性がいいとは限らないのだろう。とりあえず自分と上條は水と油。相性は最悪だと侑李は感じた。

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