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No.4:音のない世界へようこそ

聞こえない… ドクドクという自分の心臓の音だけが耳の奥で響いている。 ただこの心臓の音さえも聞こえないんだろうか…。 耳を塞ぎ押さえつけていた手を力なく落とす。 廊下の壁際にポツンと置かれた病院のベンチに座り、咲は項垂れた。 「何でこんな事に…」 自分で言うのもなんだが、長身で顔も良い方だと思う。 だからこそ恋沙汰やトラブルになる事は今までも何度かあった。 それでも自分に突っかかる事ばかりで誰かを犠牲にした事はなかったのに…。 あれから警察の事情聴取の様なものが30分程続き、段々と真相が分かった。 襲ってきた男の彼女が事の発端だった… 彼女は数週間前Sproutに立ち寄り、たまたま接客をしてくれた咲に一目惚れをしたらしい。 最初は彼氏が既にいる立場という事もあり、咲を一目見るだけ…という気持ちだった。 しかし、段々とSproutへ通うようになると気持ちは咲へ揺らいでいく一方だった。 そして、男に別れ話をするまでになっていった。 ‟それまで何のトラブルも無く仲良くやってきてたんだ!” 警察にそう叫んだ男は、きっと咲という奴が彼女をそそのかしたのだと訴えた。 「やめて、彼は何も知らない!私の事だってただのお客だと思ってる!」 そう叫んだ彼女の声も届かないまま男は弟分を連れSproutへ… 一方的な感情のまま男は殴り込みに来たのだった。 ‟そいつが聞こえてないなんて知らなかった…なかなかこっちの質問に答えないから! そいつが咲ってやつ本人で逃げようとしてんのかと思って…” 運悪くこの時バックヤードの出入り口を使わず店内から出てきたハルを早速捕まえると答えないハルに焦れて手が出てしまったという事だった。 「ゴミ、なんでバックヤードの入り口から直接捨てに行かなかったの?」 椎名がふと投げかけると金井がすぐハルへ聞いてくれた。 『…あの時、椎名さんと咲が楽しそうに話してたから、邪魔しないようにと思って…』 その答えに椎名と咲は2人で肩を落とした。 声をかけてくれれば…。守れたかもしれなかったのに…。 ガチャ ドアが開く音にバッと顔をあげる。 物思いにふけていた咲の前には、頬に大きなガーゼを貼ったハルが立っていた。 あれから警察が帰った後、夜間でも開いている病院を探したがなかなか無く。 救急対応をしている大きい病院まで来ていた。 幸い口腔外科も入った病院だったので、口の中まで怪我してしまったハルは数針縫う事になったが無事処置してもらえたのだった。 椎名はまだ書類関係があったので二人を咲に病院へ急がせ、一人で警察に向かったのだ。 『…大丈夫?』 『うん、心配かけてごめん…椎名さんは?』 『まだ警察。』 『そっか…。とりあえず椎名さんに連絡する』 ハルはスマホを片手に治療が済んだことを椎名へ告げる。 静まり返った病院の廊下を二人歩き始めた。 『俺のせいなのに…本当にごめん』 『ううん、違うよ…。咲だけじゃない、あの人達が勘違いしたまま手をだしたから悪いんだ』 「ごめん…最後なんて?」 ハルの手の動きについていけなくなり、申し訳なさそうに咲はポケットからメモ帳を出した。 【勘違いした人が悪い さくのせいじゃない】 咲からメモ帳を受け取り弱弱しい字で書き始めた。 【俺も バックヤードから出れば良かった 変に気をつかったから】 「なんで声掛けなかったんだよ…」 ハルに分かるよう問いかけると… 【楽しそうだったし わざわざ筆談 めんどうだろ】 苦笑いするハルの口元がまだ引き攣っている…痛いんだ。 胸を締め付けられるような感覚で咲は唇を噛みしめた。 「バカ!……っ、俺、ぜってー覚えるから!お前と手話で話せるようになるから!」 ――守りたい!―― 何故か分からない… だけど弱ってる癖に笑顔で無理に笑いかけてくるハルを守りたいと思った。 「分かる?俺、ぜってーお前との壁、壊すから!」 『…うん』 分かってるのか分かってないのか、とにかく口を読み取ってくれたのか頷くハル。 がばっ 「!?…ぁ…さく…?」 気持ちがザワついて、思いがけず目の前のハルを抱きしめた、強く。 「ごめん、俺の事で巻き込まれたのに、守れなかった、ごめん…」 「?」 聞こえてなくていい…そう思いつつ咲はぎゅっとハルを抱きしめたまま呟いた。 カチカチとどこかの時計の秒針だけが響く。 トクトクと二人の鼓動だけを感じる…。 どれくらい経ったのか、暫く動けずにいた二人だったが、グスッとハルの鼻が鳴った。 「おれ…おれが、にえたのがわるかったんだ…」 「え…?」 そっと離して見たハルの目には、零れ落ちそうな程の涙が溜まっていた。 「こわかった…。何か言っても…わかってくえないかとおもったら…こあくて…」 「…ハル…」 「何言ってるのかもわからない…にえっ…にげたかったっ」 ふっ…うう… 嗚咽だけがやたらと耳に響く、俯いたハルからパタパタと大粒の涙が床に落ちた。 【もうこんな事ないようにする ぜったい!】 ガシガシと書き殴ったメモ帳をハルに押しやり、咲は再び強くハルを抱すくめた。 (あったかい…) ボロボロに泣きながら、ハルは人の温もりがこんなにも温かいものなのかと切なくなった。

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