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No.5:音のない世界へようこそ

「いらっしゃいませ~」 「すいません、カフェラテの…ホットを2つ」 「はい、かしこまりました。他にお食事はいかがですか?」 「じゃ~これを」 落ち着いた店内は相変わらず、Sproutには数人のお客の楽しそうな声が聞こえる。 あの事件から三日程、Sproutを臨時休業した後 【俺は大丈夫です、痣が目立たなくなるまで休ませて頂きますが…、お店は営業して下さい】 そんなハルの置手紙を店先で見つけた椎名は営業を再開していた。 「ちょっと人手が欲しいけど、仕方ない…」 生憎今日は咲も部活で休みの日、こういう時に限ってお客様が途切れない。 お店としては嬉しい反面、バイトに頼って訛った体に椎名はやれやれとため息をついた。 ―――――――― ピッピッピッ 自分の部屋で横になっていると、ベットのすぐ傍にあるライトが点滅した。 誰かが部屋に訪問して来た合図だ。 ハルは重たい体を起こしてドアの方を見る。 『よぉ…今いい?』 そこには飲み物を2つお盆に乗せて、隙間から様子を見ている隼人の姿があった。 『どうしたの?』 『母さんから』 『ありがと…』 ベットに座るハルの前にずいっと温かいココアが差し出され、おもむろに受け取る。 ゆっくりコップに口を付けると、口の中いっぱいにチョコの甘さが広がった。 『ハル、あのさ…』 『…なんだよ、改まって』 床に座って自分と同じようにココアをすする隼人を見ると、神妙な顔をしていた。 何か言われるのかな…と落ち着かなくなる。 実はSproutでの一件があってから、バイトも学校も休んでいたハル。今日で5日目だ。 別に登校拒否や引き籠っているという事では無い…痣が気になって外に出れないでいた。 『もうバイトには行かないのか?いや、行きたくないなら良いんだけどさ』 『…別に、行きたくないとは思ってないよ。傷が治れば今まで通り行くつもり』 きっと隼人なりに心配してくれているようだ。 『実は…今来てるんだよ、夕って…高校の友達?』 『え!?』 危うくココアを吹き出しそうになりながらドアの方を見る。 『いや、会うのが嫌なら帰るって、玄関で待ってる。…ハルの様子を聞きに来たんだよ』 『早く言ってよ!俺、大丈夫だから!』 バタバタと玄関へ向かうと、落ち着かなそうに視線を泳がせている夕の姿があった。 『あ…久し振り?』 なんだか恥ずかし気な夕の手の動きに、ふと笑みが零れる。 『どうぞ、あがって』 『サンキュー』 高校の帰りだったのだろう、ドサッといつも遊びに来ていたように床に荷物を置くと夕はハルの隣に腰かけた。 『びっくりした…お前が暴行事件?巻き込まれたって会津から聞いて…大丈夫なのか?』 公にはされてないようだが、いつも一緒にいるのを見ていた夕に会津は教えたのだろう。 あの事件の翌日には会津が様子を見に来てくれたが、 『傷もあるし、気持ちも落ち着かないだろうから、学校は来たくなったら来いよ』 と言って帰っていったのだ。 『今はもう大丈夫、傷も治ってきたし、あとは痣だけかな…』 口の中の傷はだいぶ落ち着いたが、頬の痣はまだ残ってしまっていた。 それでも、そろそろ学校くらいは行こうかと思っていたハルだった。 『お前がいないとつまんないしなー、椎名さんも心配してたぜ』 『え、椎名さんに会ったの?』 『昨日、久々に店に行ってみたんだ。ちょっと忙しそうだった』 『そっか…』 『でも、‟無理しないで良いよ、宜しく伝えて”って椎名さん言ってたよ』 『夕もなんだかんだ、椎名さんと話すようになってるんだな』 『まぁな』 久々の友人との会話。 落ち着く…と思いながら、ハルの脳裏にふと咲の顔がよぎった。 『あのさ…咲はいた?バイトの俺と同じ高校生なんだけど』 『あ~、いたよ。でもカウンターの方で作業してたのかな、あまり顔見なかったけど』 『そっか…』 『気になるの?そいつの事』 『まぁ~…』 そこまで知らないだろう夕に事件の事を一通り話してみる。 『なんだそれ!?とばっちりじゃんか!』 と最初は頭にきていた夕だったが… 『守るって…手話で話せるようになるって…お前との壁を壊すって言ってくれたんだ…』 咲くの言葉を1つ1つ覚えている限り思い出しながら話した。 夕は何も言えずにただそんなハルを見つめた。 『きっかけは咲だったかもしれない…でも、俺の、俺たちの世界を理解しようとしてくれて。 入り込んでくれようとしてくれてる。…素直に嬉しいと思ったんだ。怖いし、嫌だなって人も沢山いたけど、心から許したり分かり合えそうな人もまだまだいるんだって思えた。』 泣きそうな、でも嬉しさが滲むような顔のハルの頭をクシャっと撫でると、夕は立ち上がってさっさと帰り支度をした。 『明日、学校来いよ。そんくらいの痣なら目立たないし、誰もわかんねーよ』 『夕?』 『…俺、理不尽な事だし、お前が怪我して、すっげー腹立つ!』 『…』 『けど、そいつは、本当にお前の事守ってくれるかもしれない。それに、そいつがいればお前も守られるだけじゃなくて、強くなれるかもしれないな』 じゃ!と手を振って夕は帰って行った。 ー守られるだけじゃなくて、強くなれるかもしれないなー ポツンと残された部屋、窓にそっと向かうと夕の姿はもう無い、遠くで夕日が沈んでいく。 夕の言葉が、何度もハルの心に響いた。 ―――――――― 『えーっと、それじゃ、今日の39ページ!この数式ちゃんと覚えて帰れよ!?』 ガタガタッと椅子が一斉に動く音が響き生徒たちが動き出す。 5限の授業が終わり、咲はおもむろに机の隣に置いてある重そうなスポーツバッグを肩に引っ掻け教室を出た。 今日は部活の日、本当ならサボってSproutへ行きたいところだが…選抜メンバーに入ってしまってる以上、厳しい顧問の前で「体調が悪くて…」なんて嘘は通用しない。 「はぁ…」 ここのところモヤモヤした気持ちが晴れずにため息ばかりだ。 事件の後に椎名と少し話し合った。 「俺…暫く休んだ方が良いですよね。ハルが怪我したのは俺が原因なんだし、またいつこういう事が起こるか分からないし。」 「…その気持ちはよく分かるよ。ハル君も怪我してるし、少し休ませてあげたいと思ってる。でも、咲君までお休みしたら、ハル君の方が気にしてしまうんじゃないかな?」 「…ハルが…」 確かに自分までバイトを休んでは椎名に迷惑をかけるし、ハルも余計に気を遣ってしまうかもしれない。 「…分かりました。接客は少し控えめにさせてください、裏方の方から頑張りますから。」 うーん…としばらく悩んだ後、そう言ってまた咲はバイトをすぐ始める事にした。 行きにくい反面、またハルが来てくれるかもしれないという期待もあって、ここ最近落ち着かないのだ。その上、部活で思いがけず1年生からは珍しい選抜メンバーに入ってしまい、バイトの日以外は毎日限界まで体を動かしヘトヘトになっている咲だった。 ピピー!! 「前半後半に分かれてシュート練習始め!」 体育館の重たいドアをガラガラと引き開けると、既に集まっていた部員が部長の掛け声で練習に励んでいた。 「あ、咲!今日は選抜で練習試合するから、早く着替えてアップしとけよ!」 「はーい!」 ドサっと着替えを置きおもむろに着替えだけ掴んで更衣室へ向かう。 (今日は温かいカフェモカが飲みたい…) 咲の頭は既に甘くてほろ苦いSproutのカフェモカでいっぱいだった。

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