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No.6:音のない世界へようこそ

明るい茶色と白を基調とした北欧風の佇まいは相変わらず。 色とりどりの花が咲き終わり、ススキや猫じゃらしがふんわりと店の周りを囲んでいる。 薄緑色のアイビーやミントがその間を伝っていて、冬に差し掛かった店先も良い雰囲気だ。 (久し振り…だな) そんな様子を眺めて店先にポツンとハルは立ち尽くしていた。 なんだか入ろうと思っても気が進まない。あの事件、自分は被害者側で悪くはないと思うのだが…迷惑をかけたような気がしてしまって踏み出せずにいた。 『俺、なんか飲みたいな…行こうぜ』 横で何気なく笑う夕に背中を押され、ハルは店のドアを開けた。 「いらっしゃ…ハル君!夕君も!」 いつもどおり声を掛けていた様子の椎名が、二人に気づくと驚いた顔で駆け寄ってきた。 「も~…来てもらえないかと思ったよ~」 へにゃっと泣きそうな笑顔で見つめられ、なんだか胸がキューっとなる。 【ごめんなさい もう大丈夫なんですけど なんだか来れなくて】 メモを椎名に渡して改めて「ごめんなさい」と頭を下げる。 そんなハルの肩にポンと手を置き、椎名はまだお客のいない店内へ入るよう誘った。 『夕君は、いつものキャラメルラテで良い?』 『うん!』 常連かと思うような二人のやり取りに、何事かと席向かいの夕へハルが身を乗り出す。 『実は…椎名さんに頼まれて、ハルが来てない間に手話教えてあげてたんだよ』 『何それ!知らなかった!』 『言ってねーもん』 にひひ、とイタズラな顔で笑う夕を遠くから椎名がニコニコ見ている。 『椎名さんも咲も、覚えるの早くてさ、もう俺たちの中ではコレ要らないんじゃないかな』 そう言って夕がトントンとさっき使って机に置いたままのメモ帳を指さした。 痣が治るのを呑気に待っていた自分とは違い、椎名さんも咲も動き出していたんだ―。 そう思うとなんだか申し訳ない気持ちと有り難い気持ちで胸がいっぱいになる。 う゛~と涙もろくなった自分に活を入れ、ゴシゴシと手で目元を拭っていると。 『という事で、ハル君が元気になればお店にはいつでも戻ってきて良いんだよ』 テーブルに温かいキャラメルラテとカフェラテを置き、椎名は優しい笑顔でハルを迎えた。 『…ありがとうございます。俺、またSproutで働きたいです。』 『もちろん、大歓迎』 椎名が悪戯っぽい笑顔でハルに笑いかける。 『俺もバイト代、いや、講師代もらおうかな♪』 『なんだよそれ(笑)…じゃあ、今日はケーキでも奢るよ』 『やった!』 カウンターに並んで陳列された冷蔵ケースのケーキを早速覗きに行く夕。 そんな後ろ姿に椎名とハルは顔を見合わせ笑った。 『君がお休みして今日で3週間経つのかな…、夕君が‟ハルのお見舞いに行ってきました”って突然訪ねて来てから今日まで毎日のように通って手話を教えてくれたんだ』 きっと自分の家に来てくれたあの日か…とハルは思い出した。 そそくさと帰ったのは、その足でSproutへ寄る為だったらしい。 『夕君は‟ハルの手伝いがしたい”って言ってた。君がバイトで働いてる姿を尊敬してるって』 初めて聞いた友人の気持ちに胸が熱くなる。 『そんな事思ってくれてたんですね』とポツリ呟くと、にこにことケーキを選んで戻って来たその顔に笑ってしまった。 『夕、ありがとう。お前のおかげで元気出たよ。椎名さん、明日から早速バイト入ります』 『お待ちしてます』 『俺はたまにお茶しに来ます♪』 『夕…ついでに宿題でもやれよ』 『はいはい』 二人の様子に和んでいると、椎名が窓の外の様子にふと動きを止める。 『どうしたんですか…あ!』 推名の視線の先にいた人物にハルも目を見開く。 (咲!) さっきまでのハルと同じように入りずらそうに店先で立ち止まっていた。 なぜか分からない― けど、無性に咲に会いたかった、どんな顔して、どんな気持ちでいるか…心配だった― ガタンッと勢いよく席を立ち、ハルは気持ちのまま咲に向かって走って行った。 『ハルも来てたの!?』 店内から突然飛び出してきたハルに咲も目を白黒させる。 まるで心の準備が出来てませんでした、とでも言うように咲の胸はバクバクと脈打った。 『咲に会いたかった!元気なのか落ち込んでるのか、心配だった!』 思いのままを手から伝える。 夕から手話を教わったんでしょ?という前に、自分の言葉で分かってくれそうで。 『俺は…大丈夫だよ。ハルが来なくてちょっと寂しかったけど、元気だよ』 照れ臭そうな咲の言い方に、ハルの表情がふわっと和らぐ。 『もう、俺も大丈夫だから。明日からまたここに来るから。また宜しく』 『うん』 この胸の温かさはなんだろう… ずっと寂しくて、なんだかぼんやりした時間が過ぎてたのに、咲に会ったら急に目の前が鮮やかになったような気がする。 家族や友人、一番親しい夕や椎名さん…ともまた違う感覚。 くすぐったくて、守られたくて守りたい。 (好き…好きなんだ…) はっと自分の心の奥底にあるものに気づいた瞬間だった。 『ハル…、俺の手話分かる?』 苦笑いで聞いてくる咲。 自分の為に色々覚えてくれたんだろう、こんなにもスムーズに入り込んでくる言葉。 『音のない世界へようこそ』 ハルはそう言っておもむろに咲を抱きしめた。 突然の抱擁に咲はよろめきつつ、頬を赤くしたのをハルは知らない。

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