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4、今なんて……?〈累目線〉

 空の通う高校は、数年前に大規模修繕とリフォームがなされたということで、まるで新設校のようにきれいな校舎だ。昨年度のうちにすべての工事が完了したらしく、古かった校門や、門を入ってすぐの場所に広がる中庭も、何もかもが真新しい。  空の説明によれば、これまではくすんだクリーム色だった校舎の壁も、真っ白に塗り替えられているのだとか。磨かれた窓ガラスに反射する朝陽ともあいまって、校内に立つ空の姿がひときわキラキラと輝いて見える。 「きれいな学校だね」 「だよねー。入学式んとき、兄ちゃんも感心してたよ。ここ、母校なんだ」 「へぇ、そっか。……というか、入学式に彩人さん……かなり目立ちそうだね」 「そーなんだよぉ。でっかいし一人若いしで目立つし、なんか泣いてるしで、もう俺恥ずかしくて」 「泣いてたんだ。愛されてるなぁ」 「まぁ……苦労かけたしね」  苦笑しつつ肩をすくめる空は、恥ずかしいという割には清々しい笑顔だ。その日の様子がすんなりと想像できる。胸が暖かくなるような光景だっただろう。 「壱成さんは?」 「壱成はねぇ、式が終わってから来たんだ。兄ちゃんと壱成が保護者席いたら、変に目立っちゃうと困るからって」 「そっか……。まぁ、日本じゃまだ、同性婚も珍しいもんね」 「なんだかんだで、みんな知ってることだけどねー。まぁ、壱成がいたらもっと目立ってただろうし、それで良かったのかも。けどね、春休みの間に、門のところで三人で写真撮ったんだ」  そう言って、空はスマートフォンを器用に片手でスクロールし、その日の写真を見せてくれた。  満開の桜の下、スーツに身を包んだ壱成と彩人、そして若干サイズの大きな制服を着た空が、校門の前で笑顔を見せている。大人しめに見える深いネイビーのスーツに身を包んだ彩人は、その日からすでに涙目である。そんな彩人と緊張の面持ちをした空、そんな二人を見守るように微笑んでいる壱成の姿――あまりに尊い写真すぎて、累は反射的に「僕にも送って?」とリクエストしていた。 「え、欲しいの? まぁいいけど……」 「壱成さんにも、早くご挨拶したいな。帰国してから会えてないし」 「まぁ、今度ご飯行くし、その時でいいんじゃないかな。壱成、そわそわしてたよ。クラシックの勉強しといた方がいいかなとか言ってたし」 「そんな、気にしなくていいのに」  早瀬家の面々から歓迎されている空気を感じるにつけ、幸せを噛みしめずにはいられない。一時は壱成のことを『そらくんをつれてかえっちゃうおじさん』と目の敵にしていたものだが、今やすっかり壱成にも親しみを感じている。壱成はいつも累の多忙さを気にかけてくれたし、父親が多忙な時期は、累を夕飯に招いてくれた。『ご飯は一人で食べない方がいい』と言って、陸上クラブや学童保育の後には、早瀬家に迎え入れてくれたのだ。    累の父親と壱成は、保育園時代から面識があり、顔を合わせればよく話をする間柄だ。壱成が累の世話を父親に申し入れてくれたおかげで、空と一緒にいられる時間が増えたし、孤食をしなくともよくなった。そういう思い出があることもあって、壱成のことも懐かしいのである。  ――早く会いたいな、空のご家族に。……けど、『空に手ぇ出すなよ』とかって釘を刺されたらどうしよう……。    会いたいような、怖いような……複雑な感情を胸に抱きつつ校内を進むうち、累は何やら周囲が騒がしいことに気づき始めた。  校門をくぐるあたりから異様に視線を感じていたが、累が一歩校舎内に踏み込んだ瞬間、ざわっとあたりがざわめいた。空は周囲を見回し、累にそっと囁いた。 「……やっぱ累って目立つね。女子の視線すっごい」  耳に届いてくるのは「え、誰? 誰あれ、カッコいい!!!」「外人? モデル? すごい背高い、スタイルいい〜♡」「えっぐいイケメン♡ 何年生かなぁ?」などだ。どこへ行っても耳慣れた反応であるため、累はさほど気にならないのだが、そばにいる空は何やら居心地が悪そうだ。 「空〜、うぃーす。……って、誰だよそのイケメン!!?」 「あ、おはよー海斗」  とそこへ、不良じみた生徒が空に近づいてきたではないか。累は思わず空を背に庇おうとしかけたのだが、空は自然な笑みを浮かべて軽く手を上げ、その不良生徒の声に応じているので驚愕してしまう。五年も会わない間に、空の交友関係が荒んだものになってしまったのか――!?  「いや誰って、累だよ累。高比良累、小学生んとき、海斗も一緒だったじゃん」 「えっ……? え、累? ……あ、ほんとだ、言われてみれば……」 「もーなんで分かんないかなぁ。こんな目立つやつ他にいないでしょ」 「そーだけどさぁ。……なんか、オーラすげぇ。威圧感パネェ」 「累は、海斗のこと覚えてる?」  くるりとこちらを振り返った空に問われ、累はジロジロと無遠慮な視線で不良生徒を眺めまわした。  ゆるっとした制服の着こなしをしているし、坊主に近い潔い短髪は明るい茶色。長身はだいたい175センチといったところだろうか、学年の中では大柄なほうだろう。一重瞼の目元はキリッと鋭く、累に負けず劣らずジロジロと無遠慮に累を観察している。  過去の記憶と照合した結果、小学校一年生から三年生までの間、空とともに同じクラスだった小柄な少年の顔を思い出す。当時はやたらと細っこく小柄だったはずだが、ずいぶん立派な体格に成長したものだ。 「覚えてるよ? 三隅海斗、だろ?」  累がさらりとそう答えると、海斗はキリッとした目をパチパチ瞬き、「なんだよ! 覚えてんならもっと懐かしがれよー!!」と頬を膨らませている。 「すげぇ久しぶりだなぁ〜! なんかすんげぇ背ぇ伸びてんじゃん。どこ行ってたんだっけ? アメリカ? ハワイ?」 「ドイツ」 「あー、ドイツかぁ〜。五年もドイツ行ってて日本語わかんの?」 「分かるよ。しょっちゅう空と電話してたし」 「あ、そーなの? そいやお前ら仲よかったもんなぁ、空の保護者みたいな感じっつーの?」 「……」 と、若干距離を取りながら累の全身を眺めつつ、海斗もまた靴を履き替えている。だが累は早々に海斗から興味を失い、「空、職員室に連れてってくれる?」と言った。 「ああ、うん。こっちだよー」 「ちょ、ちょっと待てよ累! 久々なのにつれなすぎぃ!!」  空に職員室へと案内してもらっている間も、海斗は累に話しかけっぱなしだ。ただでさえ、校内を歩くと注目を集める累だが、そこへ外見がヤンキーな海斗が絡んでいるのでさらに目立っている。 「ねぇねぇ、ドイツの女ってどーだった? 美人多い?」 「さあ、興味なかったから覚えてない」 「うっそだろー? お前みたいなイケメン、女選び放題だったに決まってんじゃん。彼女の一人や二人、いたんだろ?」 「いないよ」  やたら『女』『女』とうるさいやつだ……と、さすがの累も海斗の質問に辟易してきたところである。それは空も同じだったようで、「海斗さぁ、久々なんだからもうちょっとマシな話題ないのかよ!」と怒っている。 「だってさぁ! 結局今年の夏も彼女できなかったじゃん。結局部活ばっかだったし……」 「まあまあ、いーじゃん。これからだよこれから」 「高校一年生の夏はもう二度と戻ってこないのにさ……はあ青春してーなぁ、彼女欲しい……」 「彼女ばっかが青春じゃないだろー? みんなで花火行ったの、俺楽しかったよ?」 「うん、まぁ……楽しかった。最終的に、空が年上のお姉さまに逆ナンされまくって終わっただけだったけどな……」  そう言って、海斗は恨みがましい眼差しを空に向けているのだが…………累は内心、くわっと目を向いた。  ――空が、逆ナンされていた……だと……!? しかも年上の女に……!?  そんなことを聞いてしまうと、累の心中は穏やかではいられない。衝撃のあまり硬直ぎみな首を、ぎぎぎぎと必死で動かし、空の横顔を盗み見る。が、空は得意げなドヤ顔ではなく、複雑な表情をしていた。 「そんなこと言われてもさぁ、大勢でワイワイこられたら怖いじゃん」 「怖くねーよ浴衣姿のカワイイ女子大生様だぞ!? 空がちょっとくらい愛想良くしてくれりゃ、俺にだってチャンスがあったかもしれねーのに……」 「いやそんなこと言われても」 「空だって彼女ほしーだろ!? だったら勇気を出して立ち向かえよ!!」 「え。んー……そりゃまぁ、欲しいっちゃ欲しいのかもしれないけど……」  血の涙でも流しそうに悲壮な表情で迫ってくる海斗に、空は困惑気味な笑みを見せていて……。  ――!!?? 彼女がほしい!!??  聞き捨てならない空の発言に、累の心臓は停止しかけた。  ――えっ!? なに、彼女ほしいって言った!? 僕というものがありながら、空、彼女がほしいとか思ってるのか……!!??  衝撃のあまりその場で気を失いそうになったけれど、なんとか足を踏ん張って耐え凌いだ。だが、喰らった衝撃がでかすぎて、感情を立て直すのにしばらく時間がかかりそうで――(舞台慣れしているのでポーカーフェイスなのだが) 「だよなだよなぁ、ウブだった空くんも、そろそろ彼女ゲットしてエロいことしまくりたいよなぁー!! ま、空は顔かわいーし、おしゃれだし、その気になりゃすぐ彼女できるって」 「んー、けど俺も、女子と喋るの苦手だし……」 「緊張する気持ちは俺も分かるよ! よぉぉく分かる! でもこればっかは経験だろ。……よし、次は文化祭か。それまでに頑張って彼女作ろうぜ、空!!」 「う、うーん……イベントのために彼女作るってのはなぁ〜……」  ぐいぐい盛り上がってゆく海斗のテンションに反比例して、空はだんだん居心地の悪そうな表情になってきている。累の思考回路もショート寸前だが、こんな顔をしている空を放ってはおけない。  累はぐいと海斗の胸ぐらを掴み、そのままドン、と廊下の壁に押し付けた。力加減を完全に誤ってしまったようで、やたら大きな音が廊下に響いた。 「ひぃっっ!! いってぇな!! 何すんだよ急に!!」 「……下世話なことを言うな。空が引いてるだろ」 「は、はぁっ!? ああ〜〜出たこれ。出たよこれ。お前さぁ、まだ空の保護者ヅラしてんの?」 「君には関係ないと思うけど」 「んなっ……。お、お前はいいよなぁ!! どうせ、美人な外人女子とドエロいことやりまくってたんだろ!? 日本でもモテまくりのヤリまくりですってかぁ!?」 「そんなことするわけないだろ。僕は今でも……」  空一筋だ!! と、ここぞとばかりに空への情熱を迸らせようとした瞬間、空がぐいーと腕を突っ張り、累と海斗を引き剥がす。ふと気づくと、職員室へ続く廊下を歩いていた生徒たち、およびそのへんにいた教職員全員の視線が、累と海斗に釘付けだ。……転校早々、悪目立ちをしてしまったらしい。 「はいはい!! もうやめろってーの!! もーいいーってそういう話は!」 「……ご、ごめん、空」  怒り顔の空に睨まれて、むくむくと湧き上がっていた攻撃性がしゅーんと下がっていく。だが、胸ぐらを掴まれた海斗はまだ、「んだよこの野郎。モテるからって調子乗りやがって」プリプリと文句を言っている。すると空はじろりと海斗を睨み上げ、キッパリとこう言った。 「累がモテるのはしょうがないだろ! こんな顔だし、ドイツで色々頑張ってきたんだから、しょーがないの!!」 「ぐっ……な、何だよそれぇ。空ひでー」 「ったく……ほら、職員室ついたよ! 累、行っといで!」 「あ、ありがとう」  空に背中を押され、職員室のドアに手をかけつつ……そっと空のほうを見る。どうしよう、さっそく空を怒らせてしまった。  そして、それ以上に気になるのは……。  ――空は、彼女が欲しいの……? 僕には元から、望みがなかったってことなのか……?  累を送り出し、口喧嘩をしながら階段を登っていきかけた空が、ちら、とこちらを振り向いた。くるりと大きな空の瞳が、何やら物言いたげに見えるのは、累の憂鬱のせいだろうか。  ――どうしよう……怖い。怖いけど、これは何としてでも確かめなきゃ……! 空が、僕のことを本当はどう思っているのかってことを……。  累は泣きたい気持ちをぐっとこらえて、緩慢な動きで職員室のドアを開けた。

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