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自室まで手っ取り早く空間移動した李遠は、すぐに少年をベッドへと横たえた。春先の季節とはいえ、まだ冷え込む時期に道端で放置されていたからだろうか。ひんやりとしていた体は徐々に熱を帯びてきている。おそらく体調を崩して発熱しているのだろう。しっかりと布団を掛けてやり、李遠はキッチンへと向かった。 生憎と冷却シートがなかったので氷枕と水を張った洗面器、そしてタオルを持って部屋に戻る。氷枕は少年の頭の下へ、タオルは水で濡らしてから額に乗せて様子を窺う。薬でも飲ませてあげたほうが治りは早いのだろうが、本人の意識がなければそれも叶わない。それに空きっ腹に薬を飲ませるのもあまり好ましくないだろう。 「お粥でも作るかなぁ」 頭を冷やしてあげたからか、短かった呼吸は少しずつ落ち着きを見せている。ベッドのそばに跪き、汗で額に張りついていた少年の髪をそっとすいてやった。 「…ごめんね」 彼はどうしてあんな道端に倒れていたのだろうか。どうしてこんなに体調が優れないのだろうか。色々聞きたいことはあるけれど、まずは一番に謝罪がしたい。 これだけ美しい子を己の欲でさらに傷つけてしまったお詫びを。 ──さわさわ、ことこと。木々のざわめきと生活音らしき音が、意識を浮上させた少年の耳をくすぐらせる。 「ぅ…ん…?」 覚醒しきらない頭で周りを見渡すと、まず木目調のインテリアが目に入った。温かみにあふれる部屋の内装は、自室のシンプルなそれとは随分と傾向が違う。そこではたと気がついた。 (っ!ここはどこだ…) 内心焦りながらも、ベッドから上半身だけを起こして昨日の記憶を手繰り寄せる。 (昨日は生徒会の仕事を終わらせてから寮に帰って…帰って…?) 「そうだ、確かその道中で意識が朦朧として…」 そこで部屋のドアが開かれる音がした。ハッと弾かれるように顔を上げると、ごく平凡な容姿の生徒──李遠が手に盆を持ったまま入ってくる。 「目が覚めたんだね。具合はどう?」 「どうと聞かれてもだな……そもそもお前は誰だ」 「あぁ、それもそうか。うっかりしてた。でもまずは…よいしょ、と」 サイドテーブルに盆を置いて、李遠が椅子に腰を下ろす。盆に乗せられていたものからは湯気が立ちのぼっていて、少年は目にしたそれが粥であることを理解した。 「薬を飲ませてあげたいから、食べられる量だけ食べてくれるかな?」 椀にすくった粥をレンゲと共に柔和な笑みで差し出す生徒。見知らぬ男の部屋で寝かせられ、自己紹介もしないままに突然粥を差し出されるとは。明らかにおかしな状況であるにも関わらず、不思議と李遠に対する嫌悪感や猜疑心は湧いてこなかった。 その身の上ゆえに、昔から人間の酸いも甘いも見てきた少年だ。人を見る目には少しばかり自信がある。少年は嘆息したのちに大人しく椀を受けとると、レンゲで一口すくって、粥を口に入れた。 「…随分としょっぱいな」 「えっ」 口に広がる過剰な塩味に眉を寄せると、李遠が至極意外そうにぱちりと瞬きをする。 「お前味見したのかよ」 「お粥なら味見するまでもないかなと…」 「アホ。それで失敗してんだから世話ねぇぜ」 「も、申し訳ない…」 人を見る目はあったが、さすがの少年も料理を見る目までは備えられなかったようだ。塩分過多の粥を見つめ少し迷ったが、そのまま食事を再開する。李遠はそんな少年を心配そうに見ていた。 「あの、無理はしなくていいんだよ?一口だけでも食べたんだし、美味しくないならあとは薬を飲んで…」 「いや、ここ最近ろくに水分補給もしてなかったから…今の俺には塩分が多いくらいでちょうどいいんじゃねぇの。…それに、俺のこと心配して作ってくれたんだろ。尚更残したら悪い」 そう言って黙々と鍋の粥をさらっていく少年に李遠は少し目を瞠ったが、その頬に一筋の雫を見つけてその表情を潜めた。 「ほんと、しょっぺぇ粥」 はらはらと静かに流れる雫は少年の衣服に吸い込まれていく。そんな様子を李遠は優しい眼差しで見守っていた。 粥を平らげた少年に薬を飲ませて、水を枕元に置いてやる。塩分を摂ったことでさすがに喉が渇いたようで、少年は水を一杯飲んでから李遠をじっと見た。李遠からすれば少年には一刻も早く安静に休んでほしいのだが、少年の目がこの状況を説明しろと言わんばかりに強くこちらを見つめてくるものだからこちらが折れてしまった。 「…僕は三年生のジュリアーニ・李遠。訳あってしばらく学校を休んでいて、ちょうど今日帰ってきたところだったんだ。そうしたら寮への帰路で君を見つけて、顔色が悪かったからひとまず僕の部屋で看病をするにいたったというわけだね」 「そうか…助かった、恩に着る。自己紹介が遅れたが、俺は二年生の祢屋(ねや) (すみ)だ。この学園の生徒会長をしている」 そこで李遠はへぇ、と驚きを露にした。 「僕は春休みにはもう学園に居なかったから知らなかったけど、祢屋くん生徒会長なんだ」 「あぁ。ジュリアーニは…」 「名字、長いでしょう?李遠でいいよ」 「そうか、じゃあ遠慮なく。それでリオン…お前はハーフなのか?」 「うん。異国じゃなくて異種族とのね」 「種族は?」 「ヴァンパイア。吸血鬼だよ」 異種族同士から生まれたハーフの子どもが珍しくない国柄とは言え、学園に当人たちがそううじゃうじゃといるわけではない。見た目はごく普通だが、本人が言うのであれば事実なのであろう。 あまり出会ったことのない異種族のハーフである李遠をしげしげと眺めていたら、李遠はふと悲しげな表情を見せた。 「祢屋くん…僕はね、君に謝らなければならないんだ」 「謝る?何で」 こちらが感謝の意を示すのならばまだしも、なぜ自分を保護してくれた李遠に謝られる必要があるのだろう。首を傾げる澄の手をすくい、李遠はその指先に恭しく触れた。 「君のここにね…僕は傷をつけた」 「傷なんて、」 李遠が特別な措置を施したことで指先から傷は消え去っている。けれども李遠には、そこにさっきまであった傷口が見える気がした。 「あの時の僕は喉が渇いていて、目の前の君がすごく魅力的に見えたんだ。その血が欲しくて、きみが疲労困憊なことに気づかず血を吸ってしまった」 だからすまない、と澄の手を両手で握り込んで祈るように謝る李遠に、澄は何てことはないように声をかける。 「なんだそんなことか。今は傷も治ってるし、何ともないんだから気にするな」 「でも…」 些か納得がいかない様子でこちらを窺う李遠に笑いかけ、言葉を続ける。 「お前は過ちをきっかけに俺を助けてくれたんだろ?なら、感謝はすれど怒る理由が見つからない。それに…助けてもらってからのほうが、よっぽど痛みがひいている」 そうして自身の左胸のあたりの服をくしゃりと掴んで、澄は目を伏せた。

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