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諦めにも似た悲哀を漂わせながら伏せられた瞳に、李遠は彼が抱えているものが只事じゃないことを感じた。 「…こんな時間にどうしてあんな場所で倒れていたのか、聞いてもいいのかな」 いまだ左胸で握りしめられている拳にそっと手を添えて下ろしてやる。澄はそれを眺めながら、ぽつりぽつりと話し始めた。 「お前は最近まで学園にいなかったみたいだから知らねぇだろうけど…入学シーズンから1ヶ月くらい遅れて、一人の転校生がうちにやって来たんだ」 その転校生に自分以外の役員が惚れてしまったこと。ゆえに役員が生徒会執務を放棄するようになったこと。連れ戻そうとしても転校生に邪魔されて、それを役員が擁護するものだからいつしか諦めてしまったこと。そうして今では一人で執務をおこなっていること…澄はそのようなことを李遠に話した。 「今日も生徒会執務が終了するのが遅くなっちまって、それであんな時間に寮へ帰ることに」 「…そうして無理がたたって、君は倒れてしまったんだね」 「まぁ、な。ただの自己管理不足だ」 伏せられたままの瞳からは、未だに悲しみの色が消えることはない。 「役員たちに関してもそうだったんだろうな…付き合いが長いとは言え、引き継ぎされたばかりでまだ横の繋がりを強固なものに出来てなかった。もっと早くにあいつらのことを理解しようとしていたなら、俺の話にも耳を傾けてくれたのかも知れないが…やっぱりこっちも管理不足だったってことか」 「…君は、彼らに対して恨めしいとか、腹立たしいとか思ったりしないの?」 ふと李遠がそう問う。このような状況に陥った者ならば誰もが抱きそうな感情、それを感じないのかという至極当然ともとれる質問。しかし、澄はきょとんとした顔でこちらを見てきた。 「恨む?なんで。あいつらが本気で転校生に惚れてるなら、まぁ現を抜かしちまうのも仕方ないし。それを連れ戻せねぇのは俺に統率力が足りなかったからだろ。仕事も今のところはなんとか一人でも回せているし、そのうち奴らが戻ってくるのを長い目で待つさ」 「祢屋くん…」 「ああ、でも。恨むでも腹を立てるでもなくて、一つ抱えてる気持ちがあるとするなら…」 李遠から視線を外してぼんやりと前を見据える澄の目には、かつての生徒会の姿が映っているのだろうか。憎まれ口を叩きながらも、どこかお互いに信頼をおいていたように思えた彼ら。 けれど今は、生徒会室には澄一人しかいない。執務に追われる中、外からは部活動や放課後特有の喧騒が毎日聞こえてきていた。それが物静かな生徒会室と反比例するようで。澄は日々、とある思いを募らせていった。 「おれは、さみしい」 ずっと言わなかった気持ちが口からこぼれ落ちた。そう感じたのは手のひらに落ちていく雫を見たからだろうか。さみしい、という気持ちを自覚した途端に涙が次から次へとあふれて止まらなくなってしまう。 「ぁ…わ、悪ぃ、初対面のお前に変なとこ見せて…っ、んだこれ、止まんねぇっ…」 「っ、」 食事の時は見て見ぬフリが出来たが、今度は李遠も我慢が出来なかった。思わず手を伸ばして、その腕の中に澄を掻き抱くように引き寄せる。 「もういい、ここには君が虚勢を張らなくちゃならない相手はいないんだ」 「ぁ…」 「存分に泣きなさい」 「っ…ぅ、あ、ああぁ…!」 堰を切ったかのように澄は声を上げて泣いた。その体を抱きしめて背をさする李遠の温かさに、泣き声は更に大きくなっていく。 「俺はっこんな態度だけど、あいつらのことを信頼してて、好きだったからっ…ひとりは、さみしい…!」 口からこぼれる素直な気持ちを、李遠は黙って受け止めていく。しばらく子どものように涙を流し、しゃくりあげていた澄は、やがて泣き疲れたのか静かな寝息を立て始めた。そんな彼を再び寝床に横たえて布団をかけてやる。 不謹慎かも知れないが、李遠は澄を慰める一方で彼に見惚れてもいた。どんなに感情的になっても澄は一切憎悪の情を見せず、その心は綺麗で純真なままだったからだ。そんな彼だから、絶えず流れる大粒の涙も真珠のように美しく、ただただ魅せられた。 言ってしまえば、最初は彼を甘美な食料と捉えて出会った李遠も、今では祢屋澄という一人の人物に惹かれていた。彼のために何かをしてやりたいという思いが、その心には確かに芽生えていた。 「明日から、少し忙しくなるかもな」 あどけない表情で眠る澄の目尻をそっと撫でて、李遠は愛しげに微笑んだ。

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