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──「ねぇねぇ!昨日ね、相談室でお見かけした澄明(ちょうめい)(きみ)がすごく可愛らしかったんだよ~!」 「そうなの!?ああん、僕も見たかったなぁ!」 澄明の君。それは学園の雰囲気が改善され始めてから、生徒たちがまことしやかに噂にのぼらせている名である。噂によると、件の人物は相談室にほぼ缶詰状態と呼んでもいいほど日参しているらしい。そして、例に漏れず彼は本日も相談室に姿を現した。 「あ、澄明の君だ」 「リオン…お前までその名で呼ぶか」 「あはは、いいじゃないか。君にぴったりだ」 おかしそうに笑う李遠を拗ねた表情で一瞥して、澄明の君…澄は少し離れたデスクに腰を下ろした。 澄が相談室に足繁く通うようになったのは、初めて相談室に来たあの時からだ。 ここ最近転校生が生徒会室に押しかけてくることもあり、澄は落ちついて静かに仕事ができる場所を探していた。そうして白羽の矢が立ったのが、相談室だった。相談室なら転校生はまず存在を知らないであろうし、一気に人が押しかけてくるようなこともない。何よりここには李遠がいる。その時点で、相談室は澄にとっては一番居心地の良い場所であった。 はじめの頃は、入室した途端に隅のデスクに座っている生徒会長が目に入るものだから、驚いて卒倒しかける生徒が続出したらしい。それを李遠が宥めて事情を説明し、生徒に理解を求める光景がしばらくは見られた。ただ、そもそも相談室に来る生徒の中にはミーハーな人間が少なく、誰もが悩み解決を第一としていたので、生徒会長がこんなところにいることに関しては徐々に気にされないようになっていった。 とはいえ、おおっぴらに「生徒会長は相談室にいる」などと話されてはすぐに転校生の耳へとわたってしまう。そこで生徒たちが考え出したのが「澄明の君」という二つ名であった。 「まぁ、別に二つ名をつけるのが悪いことだとは言わんが…少し仰々しすぎやしないか?平安時代でもあるまいに」 「そうかい?ぴったりじゃないか。僕はけっこう気に入ってるよ」 澄には伝えていないものの、彼が日参するようになってから、相談室の空気がかなり澄みわたっていることを李遠は感じていた。それは彼の持つ気によるものなのだが、これが相談室に来る生徒たちに良い効果をもたらしていた。 相談室の来客たちは、みな悩みを抱えることで気が淀んでいる。それが澄の気をしばらく浴びることで、霧散していくのだ。部屋を出る頃には晴れ晴れとした顔をしている生徒たちを毎日のように見ている李遠からすれば、『澄明の君』という名前はまさに澄そのものをよく表している名前だと思った。 そんな彼は今日も隅のデスクにパソコンや書類などを山積させて忙しそうにしている。 「仕事のほうはどう?」 「おかげ様でかなり捗っている。ここは静かだし、何だか空気も良いしな」 それについては君のおかげだからね、とは口に出さずに李遠は給湯スペースに向かった。今ではすっかり飲み物の好みを把握してしまっていて、手が自然と日本茶の茶葉に伸びる。 実家の人間はコーヒーや紅茶を好む者ばかりだったからか、元々ここは日本茶の品揃えが良くはなかった。それなのに、いつからこうして茶葉を常備するようになったのか。答えは言わずもがな明らかであるようにも見えた。 ──ある一人の子どもは、静かに焦っていた。 人ならざる者たちが住まうこの国の、とある学園に転校してきた彼。彼もまた、人ならざる者とのハーフであった。しかしその種族の特性上、彼は自分の正体を悟られぬよう慎重に、何重にも結界をかけて己をヒトのように見せていた。 (ヒトの皮を被った自分に魅せられて、寄ってくる者たちの精気は何と美味なことか!) ヒトも神もあやかしも、お気に入りはすべて惑わし学園で意のままに生活を送る子どもは、自分の手に入らないものはないと思っていた。 彼を見つけるまでは。 闇へと浮かび上がるような白い髪。色素の薄いまつ毛に覆われた意志の強い瞳。そして何よりも子どもを惹きつけたのは、彼の纏う気である。 具体的にどうと言えるほどにその質を感じ取れるわけではないが、とにかく初めて会った時からその男からは美味そうな匂いがした。質の良い気の持ち主ほどその体に流れる体液は美味だと聞くから、きっとかなり上玉の男に違いない。 (ああ、彼が欲しい!そしてあわよくばまぐわって、その体液を味わいたい!) そして子どもはいつものようにターゲットと接触し、魅了(チャーム)の術をかけた。術さえかかればあとは思いのまま、すべての者たちが自分のしもべとなる。 ところが彼にはなぜかチャームがかからなかった。何度やってみても効果はなく、どんな甘言を弄してみてもまったく靡かない。 躍起になっていくうちに、子どもの欲望はどんどんと膨れ上がっていった。 手に入らないのならば、あちらから来るように仕向ければいい。 そうして子どもは彼の周りを次々とチャームで虜にし、彼を孤立させていった。そうすれば彼は自分を求めると思った。それほど子どもは己の魅力に自信があった。 だというのに、待てど暮らせど彼は来ない。どころかその姿すら見えなくなったために、子どもの放つ甘ったるいほどの気は、日ごとにどろりと重く濁っていった。 (どこにいる?どこにいる!あの甘美な獲物はどこにいった!) 血が滲むほど強く唇を噛む毎日が続いていた子どもの耳に、ある名前が飛び込んできた。 澄明の君という、その名前が。

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