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いつものように休憩のため二人分の茶を煎れていた李遠は、相談室の向こうからけたたましい声が近づいてくるのを聞いた。防音性の高い相談室、その給湯スペースからでも聞こえてくる声に何事かと顔を出すと、同時に勢いよく引き戸が開く。 「あーーっ澄!!やっと見つけたぞ!!」 「おまえ…」 「こんなところにいたのか!?照れ隠しならもう少し分かりやすいところに隠れろよな~!全然見つけらんなかったじゃん!」 突如として現れた少年──件の転校生は、澄を見つけた途端に目を輝かせて駆け寄ってくる。対する澄は、どことなくぎこちない表情を浮かべていた。 「どうしてここが、」 「澄を見かけなくなったあたりからさ、『チョーメイのキミ』って名前がよく聞こえてくるから何か関係あるのかと思って周りの奴らに聞いたんだ!まぁ、なかなか教えてくんなかったからちょっと叩いちまったけど仕方ないよな!」 「なっ…生徒を殴ったのか!?」 「だって教えてくんない奴が悪いだろ?そんなことより澄!こんなカビくさいところじゃなくて俺の部屋で遊ぼうぜ!!」 少年は矢継ぎ早に言葉を続けた後に澄を連れ出そうとしたが、李遠が咄嗟にその手を掴んだ。 「取り込み中のところごめんね。ええと君は、」 「俺のこと知らないのか!?俺、ちょっと前にこの学園に転校してきたんだ!」 「ああ、君が転校生くんか。それで、ひとつだけ尋ねたいんだけど。君と彼は仲良しなのかな?」 「何だよ!お前も親衛隊みたいに澄と仲良くするなって言いたいのか!?」 「そういうわけでは、」 「うるさいうるさい!!澄と俺のジャマするな!!」 感情的になっている少年は李遠を思いきり突き飛ばした。床に崩れ落ちる姿を見て、もともと青白かった澄の肌はさらに血の気が引いたように白さを増す。 「リオンッ!!」 「何だよ、ちょっと押しただけで大げさだな!行こうぜ澄!!」 「っ待て…!リオンがっリオン!!」 抵抗も空しく、澄の姿は相談室から遠ざかっていく。静かになった室内で、李遠はむくりと身体を起こした。 「あたた…ずいぶんと乱暴だなぁ…」 学園でも馬鹿力と揶揄される転校生は、その手で押されただけでも相手がかなりの怪我を負うことは有名な話である。しかし李遠ほどの人間であれば、身体にはほとんどダメージはやってこない。むしろ周りが噂するその馬鹿力を身に受け、李遠はあることに確信を抱いた。 (一目見た時から“()えては”いたけど…。あれほどの力の強さ、どう考えても純血のヒトじゃない。それにあの瞳は、) 澄を見つけたときから少年が向けていた視線。澄には効いていなかったようだが、あの甘すぎるほどに蠱惑的な瞳は――。 「あの子を連れて行かせたのは間違いだったかなっ」 表情に焦りを浮かべて李遠は二人の後を追った。 ──連れ出してすぐに空間移動を使い、あの萎びた部屋からは離れた。今はめったに使われていないと聞くこの旧校舎ならば、早々誰かが気づくこともないだろう。 (しかしあの男…何の変哲も無い『ヒト』の分際で俺の獲物を横取りしようとは!) まぁ、少し押しただけですぐに倒れるような相手だ。今頃は骨でも折れて一人苦しんでいることだろう。そんな男にチャームを使うまでもないだろうとそのままにしてきたが、後々の記憶処理のことを考えればもう一度接触する必要があるか…。 「…ぃ、おいっ!転校生!」 「っ!ああ、何だよ澄?」 「何だよじゃない!さっきまで相談室にいたはずなのに一瞬でこんな場所に着くなんておかしいっ…俺をリオンの元に帰してくれ!」 「うるさいなぁ!!“澄は俺のことが一番大事だろ!?”」 少年は澄の頬を掴み、色の変わった瞳で彼を見つめる。そんな少年に困惑しながらも、澄は相談室に残してきた李遠のことが心配でならなかった。 「大事とか大事じゃないとか、今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ?お願いだ、李遠のところへ戻らせてくれ」 激昂させないよう、なるべく優しい声音で少年の肩を撫でた澄は、次の瞬間乾いた嘲笑とともにその腕をとられていた。 「ッハハ…やっぱり効かないんだな」 「おい…?」 「…んでっ何で効かねぇんだよ!?俺のチャームにかからない奴はいないのに!!副会長も、会計も、書記も!どいつも俺の奴隷になったのに!!何で何で何で!!!!」 「っ…!」 とられた腕をそのままに引き倒され、強かに背中を打ちつける。抵抗もできずに痛みに耐えていると、転校生は澄の制服を引き裂き、腹に噛みついてきた。 「あ゛っ!」 肉を断つつもりではないかと思うほどに強く突き立てられた歯は、腿や鎖骨などを次々と侵食していく。血走ったその目を見て、澄はぞわりと恐怖感を覚えた。 「やめっ…」 「そうだ、そうだよ…そもそもチャームなんて使う必要がなかったんだよなぁ。一回ヤっちまえばみぃんな俺のカラダに夢中になるんだから」 「っ!」 「だぁいじょうぶだよ?なぁんにも怖いことなんてない…これからするのは、とーってもキモチイイことだよ澄…」 この状況に不釣り合いなほど優しく頭を撫でて、転校生は澄の下肢にそろりと手を伸ばした。 「やめろッ!」 「…何なの?イイことしかしないって言ってんじゃん!ちょっと上物だからって偉そうに!!うるさいうるさい!!」 「い゛ッ…!やめ、やだ!やだぁ!!」 下肢を力強くまさぐる手に、ただただ恐怖するしかない。遠慮のない手も気持ち悪いし、よく知りもしない相手にこれから犯されるのかと思うと涙が止まらなかった。 「たすけてっ…」 澄の脳裏に浮かんだのはたった一人しかいなかった。都合がいいのは分かっている。倒れる彼をどうすることもできずに、みすみす置き去りにしてしまったのは自分だ。 それでも。初めて会ったあの時から、澄の心の支えは彼しかいなかった。 「ああっいいねその泣き顔!っはぁ…俺もう濡れてきちゃった…ね、早くキモチイイことしよ?」 (リオンっ…リオン!!) 澄の悲痛な叫びと、ガラスが割れるような音が辺りに響いたのはほぼ同時だった。

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