90 / 359
【第10話】夏のなごり(5)
「な、何?」
意味深な沈黙ののち、有夏は呟いた。
「知ってる? ここのフロ場ってさ……」
「えっ、ここのお風呂場がなに……?」
「実は……」
「あーーー! いやぁぁぁぁ!! やぁーめぇーてぇぇー!!!」
絶叫に有夏、ニヤリと笑う。
「頭洗ってるとき、背後で……」
「あぎゃーーー! うぎゃーーー!!」
有夏が爆笑し、ようやく幾ヶ瀬は我に返ったようだ。
「ひ、ひどい……。有夏、嘘だよね? やめてよ、本当に。怒るよ?」
有夏は目をこすった。
笑いすぎて涙が出たらしい。
大騒ぎしているうちにビデオは終わり、自動で巻き戻しを始めた。
「本当に怖かったけど、有夏がうるさくしてくれたおかげで、気分も紛れたよ」
「うるさくしたのは幾ヶ瀬だけなんだけどな。第一、怖い気分を味わいたいがために、わざわざ金払って借りてきたんだろうが」
小さく呟いて有夏は微笑む。
やわらかな笑みは、整った容貌とあいまって誰もが見とれるものだったろう。
「え? 何なの、有夏……」
だが、幾ヶ瀬は知っている。
この笑顔を見せる時、有夏はロクでもないことを考えているのだと。
「フロ、入れよ?」
「えっ、いや、その……」
「フロ、入れよ!」
完璧な笑顔に、幾ヶ瀬の表情が引きつる。
※
ともだちにシェアしよう!