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【第10話】夏のなごり(6)

 1時間後。  いくぶん恐怖が薄れた幾ヶ瀬は、有夏に促されるがままに風呂に入った。 「『てるてる坊主』本当に本当に怖かった。稲川淳二先生を見る前に、お風呂入っときゃ良かったよ……」  脱衣場でも何度も口にし、風呂の蓋をあけながらもまた同じ台詞を口にする。  一緒に入ろうと誘ったものの、夕飯前に入浴を済ませた有夏には「は?」と返されてしまう。  気持ちを紛らわせるために、か細い声で鼻歌など口遊みながらシャンプーを泡立てている。  背後なんて気にするまいと、歌は陽気なものをセレクトしたようだ。 「♪ときはなてぇ~こころにねむるぅすべてのパワーをぉぉとざ……え? えっ?」  下手くそな歌が途切れ、彼は恐る恐る背後に視線を送った。 「き、気のせいだよな」  何か音がしたような気がしたのだ。  有夏の脅しを脳裏から振り払うように、体を前後に揺すってリズムをとる。 「♪とざされたぁ~さだめのりこえぇおお……きゃっ!?」  幾ヶ瀬の悲鳴。  気のせいなんかじゃない。 「今……いま……」  コンコンと音がした。  とっさに周囲に視線を走らせるも、音がどこから聞こえたかは分からない。  見られている──そんな気がするだけ。  風呂から出たい。  さっさとシャンプーを洗い流してしまいたいが、それすらも怖い。  最早、眼前の鏡から目を逸らすことすらできない。  全身を硬直させた彼に、更なる恐怖が襲い掛かる。

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