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【第36話】おやくそく(1)

「まさかこんなことが現実にあるなんて……」 「いや、ありえない。何かの間違いじゃ……」 「信じられないよ。絶対におかしいって……」  ブツブツ。ブツブツ。  壁の一点を見つめ、独り言を繰り返すのは幾ヶ瀬である。  アリエナイ、アリエナイ……と呟きながら、かれこれ数十分が経ったろうか。 「何やってんの、いくせー」  幾ヶ瀬の葛藤をよそに、相変わらずノンキな声は有夏のものだ。  足元から聞こえてくるのは、当の有夏が床に転がっているせいである。  分厚い雑誌を左手に、右手だけをプラプラ振ってみせた。 「ノドかわいた。のーみーもーのー」  例によって、である。  これはナマケモノ以外の何者でもない。  そんな有夏を見下ろす幾ヶ瀬のじっとりした視線。 「俺の唾液で良ければ飲む?」 「のむのむ。ゴクゴクって……そんなん飲むか―――ッ!!」  跳ね起きて叫んだ有夏。  まさかのノリツッコミに、自分ひとりで爆笑していた。

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