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第2話 そこまで好きじゃなかったみたい

 佑の言葉に、悠司は顔の向きを変え、ぼんやりと窓に目をやった。その窓からは悠司の家が丸見えだ。悠司の部屋も佑と同じく二階にあり、少し斜めの角度になるけれど窓も向き合っている。おーいと怒鳴れば聞こえる距離。小さい頃はどうにかして糸電話でもつなげられないものかと、本気で紙コップで工作をした二人だった。  でも、今ではお互いカーテンを閉め切っていることが多くなった。きっかけは、悠司が初めての彼女を部屋に連れてきた日だ。たまたま佑も自分の部屋にいて、向かいの家の窓越しに、悠司の彼女と目が合ってしまった。彼女が悠司に何か言ったのだろう、その直後にカーテンが閉められた。それ以降、カーテンを閉めているのは彼女が来ている合図なのだと悟り、やがてそれをいちいち確認するのが心苦しくなって、先んじて自分の部屋のカーテンを閉めるようになった佑だった。  悠司は漫画雑誌を放り出し、仰向けからうつぶせに姿勢を変えた。寝そべったまま枕に頬杖をついて、佑に言った。「感想、聞かないの?」 「感想?」 「初エッチの」 「別に」 「気にならない? 佑、童貞だろ?」 「うるさいよ」佑はムッとして、テーブルに広げっぱなしの問題集を悠司に向かって突き出した。「休憩終わり。続きやれ」 「なんかさあ」悠司は佑の言葉を無視して話し出した。「思ってたのと違ってたって言うか。期待してたほどじゃなかったって言うか」  佑は問題集を持ったままびっくりしたように悠司を見る。 「気持ちいいのはいいんだけど。あれはなんだろな、慣れれば違うのかな。彼女も痛いの我慢してるの分かるし。俺が下手なだけかな」 「僕に聞くなよ」 「童貞だもんな」 「偉そうに言うな、一回ヤッたぐらいで」 「一回じゃないよ。ええと、三回。三回やった。最初の日は一回目で痛がってどうしようもなくてやめて、その次の時、リベンジしようって再チャレンジして、二回ヤッて。彼女のほうはマシになったみたいだけど、俺がそこまで盛り上がらなくなってて」 「それで?」 「別れた」  佑は唐突な言葉に驚く。「そ、そのことが原因で?」 「そういうことになるのかな。うまくできなくても、彼女は次頑張ればいいよって言ってくれてさ。でも、次はうまく行く保障なんかないし、どっちにしろ、彼女のために頑張ろうって気が起きなくなっちゃった。俺、彼女のこと、そこまで好きじゃなかったみたい」 「ひどい奴だな」 「うん。ビンタされたわ。しかも、素手じゃなくて鞄をフルスイングされたからさ、マジでやばかった」悠司は苦笑して頬を撫でてみせた。  もうそこには何の跡もないけれど、確かに半月ほど前、頬が腫れていたように見えていた時があったのを思い出した。夏休みに入ってすぐの頃だ。悠司のことだから、街なかをフラフラしている時にでも他校の生徒に因縁つけられたのだろう、と佑は思っていた。以前ならそんな姿を見たらすぐに走り寄って、手当のひとつもしてやった。誰にやられたんだ、先生に相談しなくていいのかと世話も焼いた。だが、いつの間にか自分の身長を超し、自分よりよほど逞しくなった悠司。友達も多く、女子にもモテている悠司。自分がそんな彼の世話を焼くなんて滑稽だと気付いてからは、干渉するのをやめた。  しかも、高校と中学で学校も離れ、今では共通の友人の話題もない。悠司は彼女を作り、佑の知らない交友関係を広げている。自分の存在は、悠司の新しい世界の邪魔になると佑は思っていた。それを言えば、悠司は笑って「お互い様だよ、佑の高校の友達なんて俺だって知らない」とでも言うのだろう、と思った。  しかし、佑には悠司を相手に「僕の高校の友達」などと言える間柄の人間はいなかった。同じ中学から来た顔見知りもいたにはいたのだけれど、特進クラスの佑は一般クラスの彼らとはカリキュラムが違い、部活より勉強中心の学校生活を求められていて、関わる機会がほとんどなかった。そのうえ特進クラス内では誰もが他の級友をライバル視していて、表面的には仲良くしても必要以上に親しくはならなかったのだ。そんな中にも、熱血漢なのか自己顕示欲が強いのか、体育祭でも文化祭でも「ガリ勉クラスなんて馬鹿にされないように全力でトップ取るぞ」などと、クラスの団結を声高に呼びかける者もいたのだが、そういった「熱さ」が苦手な佑は、さわらぬ神に祟りなしとばかりにその種の人間からは距離を置くようにしていた。そんな「性格のせい」と「環境のせい」の二つの理由で、佑の世界はごく狭いままで、その中心には相変わらず悠司がいた。

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