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第6話 そんなこと、できるわけないのに

 夏休みが明ける頃には、再び悠司の部屋のカーテンが閉まっている日が多くなっていた。すれ違う日々の中でもすぐにそれに気付いた佑だった。相手はハンドボール部のマネージャーだと聞いたのは、たまたま廊下ですれ違った他人の噂話からで、悠司に彼女ができたことよりも、それをそんな風に知らされたことに落胆した。  こんな風に顔を合わせなくなれば、そのうち治まると思ってたのに。  佑は自室で一人うなだれていた。どうして自分は悠司を「弟のように」思ってやれないのか。どうして自分は異性にこの感情を向けられないのか。何度も何度も繰り返してきた自問自答が嵐のように心を揺さぶった。いっそ悠司に嫌われたい。そうすれば楽になれる。それなのに悠司に嫌われる想像はできなかった。わざと嫌われる振る舞いをしてやろうかと思ったこともあったけれど、きっとそれでも悠司は自分を嫌うことはせず、単に彼を傷つけるだけの結果に終わる気がしてならなかった。もっと言えば、そんなことをすれば悠司だけではなく、亜季も美紀も傷つけることになるだろう。それを考えると何もできなかった。  苦しい。  佑は一人でしのび泣いた。それはやがて嗚咽となった。ひとしきり泣いたあとには、カーテンの隙間から向かいの窓を窺った。まだカーテンは閉ざされている。あの向こうで、ユウは女の子と甘い時間を過ごしている。そう思うといてもたってもいられなかった。すぐにでもあの部屋に駆け込んで彼女を追い出してやりたかった。ユウは僕のものだと宣言してやりたかった。彼女なんか必要ない、ユウは僕だけ見ていればいいんだと、悠司に言われた言葉を投げ返してやりたかった。  そんなこと、できるわけないのに。  カーテンを閉めてもまぶたに浮かんでしまう、悠司の顔。はにかむ表情、得意気な笑顔、ふくれっ面。どれも愛しかった。それから、一年前のあの日、一度だけ見た、欲望を果たした恍惚の表情。あの顔を、今この瞬間、彼女に見せているのかもしれない。その想像は胸が引きちぎれそうなほどの嫉妬と同時に、ひどく扇情的な感情を駆り立てた。 「……ユウッ……」最後はその名前を呼んで、佑は自分の手の中にその情欲を迸らせた。 「ユウくん?」  アイの優しい声で、佑は我に返った。その時まで頭をよぎっていた回想は一年半ほど前のことだ。あのあと、悠司はハンド部のマネージャーとは別れたものの、それからも何人かの女の子とつきあっては別れることを繰り返している様子だった。一方ではハンドボール部のエースとしての地位を確立し、地区大会レベルでは好成績を残していた。佑は周囲の勧めで志望大学のランクを上げ、予備校にも通い出し、ますます悠司とは疎遠になっていた。  そして、今日を迎えた。昨日は高校の卒業式だった。志望大学にも受かり、心置きなくのんびりできる長い春休み。佑は高校だけでなく、別の何かからも卒業したかった。その「何か」が何なのかはうまく説明できない。まずは悠司への特別な想いを断ち切ることではあるのだが、こんなにも長い期間、執着から逃れられないのは、もしかしたら性的な経験の乏しさにも原因があるのかもしれないと自己分析した。辛い恋を捨てたいなら新しい恋をすればいいとは聞くけれど、新しい恋はできそうにない。だったらせめて、性体験の劣等感だけでも解消すれば、少しは解放されるのではないかと思った。  それで恐る恐るゲイ向けの出会い系アプリを使ってみたのが昨日の夜のことだ。まさかその直後から見知らぬ男達から多数のメッセージをもらい、そのうちの一人と翌日に会うことになるとは思ってもいなかった。だが、そんな性急さこそがありがたいとも思った。もう余計なことを考えたくなかった。  佑が受け取ったメッセージの差出人の一人は、佐藤零(さとう れい)という。二七歳の会社員だ。出会い系アプリを使いはじめたのはここ一年ほどのことだが、恋人を探すつもりはなかった。その日の気分で後腐れのない相手を探して会うだけだ。三日と空けずに誰かと会う時期もあれば、気が乗らないまま日々の忙しさに紛れて、誰とも触れ合わずに一、二ヶ月過ぎることもあった。  昨日はそうして「誰とも触れ合わずに過ごした二ヶ月」から抜け出した日だった。季節は冬から春に変わる頃で、学生服に筒を持った若い男の子や、袴姿の若い女性と、それとそっくりな顔の母親が連れ立って歩いているのを見て、今が卒業シーズンなのだと知った。彼ら彼女らを見ては、かつては自分もあの若々しい群れにいたのだと少々感傷的になった。  あいつはどうしてるんだろう。

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