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第三章 (3/6)
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「犬のように床で寝るとは変わった奴だな」
揶揄される声にルカは呼び覚まされ凍り付いた。扉が開く音にも、人が近付く気配にも反応できないぐらい深く眠っていたのだろうか。
強張った顔を上げるとエルベルトが面白そうに見下ろしていた。
笑われていることよりもエルベルトが手にしている銀のトレイに意識が引き寄せられる。何が乗っているか見えない。新たな拷問の道具か。薬漬けにするための麻薬か。
尋問が再開されるのかと思うと目の前が暗くなりそうだった。
「何をそんなに怯えている」
エルベルトは呆れた表情で膝をつき、トレイを床に置いた。
「心配しなくとも毒など入っていない」
そこに乗っている簡素な木の器が湯気を立てているのを見て、ようやくスープだと理解できた。パンと水も添えられた、普通の食事だ。
ルカは知らない間に詰めていた息を吐き、同時に己の小心さがどうしようもなく嫌になる。
「どうした?」
食事を凝視したまま動かないルカにエルベルトは首を傾げた。
まるで何もなかったかのように、知人に話すほどの気軽さだ。
この男が何を考えているのか、まるで分からない。涼しい目で覗き込まれるとあの拷問じみた責め苦と屈辱がよみがえり、身体が震えそうになるのを止めるので背一杯だった。
「なん、で……っ」
枯れた喉に声が引っ掛かり、咳き込みそうになるのをこらえる。
「……なんで、殺さない」
口を割らない暗殺者を生かす理由はない。ましてやベッドで寝かせ、治療を施し、暖かい食事を与えるなど。それとも手なずけようと企んでいるのか。
真意を確かめようとエルベルトを睨みつけたが、視線の先にあったのは何かを考え込んでいるような表情だった。
「お前は運命の番を殺したらどうなると思う?」
予想もしなかった言葉に呆気にとられる。
「運命の……番?」
あのおとぎ話のことか。生まれた時から定められた運命の相手がいるとか。幼い頃に聞いたことはあったが、あれは恋愛に憧れる子供たちが夢見る迷信でしかない。
「何をいきなり……」
「そもそも信じていないという顔だな」
エルベルトは口元に弧を描き、仕方がないと言いたげに肩をすくめた。
「大抵の者はそうだ。しかし色んな国と貿易をする中で私は多くの文化や歴史に触れてきた。信じる神も違えば、しゃべる言葉も、考え方も違う。なのに海を越え、遠く離れた地でさえも、運命の番という概念が存在する。大半の人間が逸話だと鼻で笑うものが世界中に共通しているということだ。それがなぜだか分かるか」
身分も低く、学もないルカにそんなことが分かるはずない。それはエルベルトも分かっているはずだ。なのにこうやってわざとらしく質問するのはそれを認めさせて優越感に浸りたいか、間違った答えを引き出してこれ見よがしに諭したいかのどちらかだろう。
神経を逆撫でされた気分で奥歯を噛み締めた。
そこまで馬鹿にされるいわれはない。
「勝手に言ってろ」
そう吐き捨てるとエルベルトは不思議そうな表情を浮かべたが、すぐにいつもの偽善とした微笑みに戻った。
「案外、プライドが高いんだな」
独り言のように呟いたエルベルトの言葉に眉をひそめたが、男はすぐに「まぁ、いい」と話しを続けた。
「運命の番は実在する。そうでなければそんな言い伝えが世界中に広まるはずがない。あれは狂言でも逸話でもない。実在する自然の理だ」
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