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第四章 (1/9)

 それから数日、エルベルトは姿を見せなかった。代わりにソフィアという召使いが食事を運び、身の回りの世話をした。好奇心を隠そうともしない目を向けられるも、君主を殺め損ねた者への憤りや嫌悪は感じられない。それどころか、情報を得ようとしてエルベルトの名を出すと嬉しそうに破顔し「陛下が気になる? そうよね、陛下ほど素敵なお方はいないものね」とあらぬ方向に話を持って行かれた。 「でもごめんなさい。聞きたいことがあれば陛下に直接お尋ねするよう言われてるの」  続いたその言葉に先手を打たれたことを知る。エルベルトの目的は依然として分からない。  疑念が多く残るものの、まず優先すべきは体力の回復。ルカは落ち着かない気持ちを抑え、身体を休めた。  食事が運ばれてくる度に少しだけ期待はしたが、初日に味わったあの甘さはもう感じられない。それでも見慣れない高価な食材や肉の柔らかさに気を取られ、いつもの食に対する憂鬱は感じなかった。  食器やカトラリーを武器にすることは考えたが、無計画に動いても意味はない。わざわざ召使いを怯えさせて監視の目を厳しくする必要もない。  ランツのことを思い、早まりそうな自分を何度も留めているうちに時間はゆっくりと流れていった。  ようやく身体が本調子に戻ってきた朝。  目が覚めるとエルベルトに後ろから抱き締められていた。 「――なっ」  振り向く前からエルベルトだとどうして分かったのか、そんなことを考える暇すらないぐらいに気が動転した。暗殺者と同じベッドに入るエルベルトも理解できないが、自分の無防備さが何より信じられない。  これで二度目だ。わずかな足音にさえ目が覚めるほど神経が研ぎ澄まされているのに、なぜエルベルトにだけは反応できないのか。 「どうした。狙わないのか」  起き上がったまま固まったルカの前でエルベルトが細く目を開けてからかうように口端を上げる。 「今なら殺せるかもしれないぞ」  ――どこがだ。  ルカは顔をしかめて内心毒づいた。  ゆったりと横たわっているように見えて、全く隙がない。上半身は何も身に着けておらず、腕や胸を覆う筋肉を見れば力任せでは到底勝てる相手ではないとすぐに分かる。あの暗殺の夜に十分思い知らされた。  夏を終えて小麦色に焼けた肌は健康的な艶を帯びて傷一つない。  色素の薄い自分の醜い身体とは正反対だ。  同じことを考えていたのか、エルベルトの視線はルカの上体を撫で、表情から笑みが消えていく。 「お前は、どこもかしこも傷だらけだな」  今更、となじってやりたい反面、いたわりすら感じる切なそうな声をどう受け取ればいいのか分からず顔を背けた。  父に付けられた傷の他にも、肌には多くの負傷の跡が残っていた。  標的以外は誰も殺したくない。  そんな理想は危険しか生まないと分かっていても、逃亡中に何度殺されかけても、唯一こだわり続けた一点だった。命じられた暗殺さえ成功すれば父は血を流して戻ってくるルカに何も言わなかった。 「もう十分だと誰も言ってはくれなかったのか? こんなになるまで……」  思いを馳せていた過去とまるで真逆なことを言うエルベルトがおかしくて、ルカは皮肉に口元を歪めた。 「暗殺者なんかを誰が気に掛けるって言うんだ?」  卑怯な手を使って陰で汚れ仕事をする殺し屋はどの国でも忌み嫌われている。利用する側にしてみればただの道具に過ぎない。その道具が傷んだとしても正常に機能さえすればそれでいい。  たとえ、それが家族だったとしても。

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