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第四章 (2/9)

「野良の暗殺者ならそうだな、誰も気に掛けることはないだろう。しかしお前は違う。金で雇われるような奴は、あそこまで追い込まれてしゃべらないはずがない」  何か言い返すべく口を開きかけたが、何も浮かばなかった。 「私やフェルシュタインに恨みを持っていないのも分かる。憎しみを暴くのは何よりも簡単だからな。お前が未だ口を割らずに私を狙い続ける理由は忠誠心だ。違うか?」  こうやって、少しずつ身を削ぎ落されながら心臓を暴かれていくのだろうか。そんな焦りを感じ、ルカは吐き捨てるように言った。 「謎解きは楽しいかよ。勝手にやってろ」  それが気に障ったのか、エルベルトは襲い掛かる勢いで起き上がり二の腕を掴んできた。ルカの強張った身体はしかし、頭で理解するよりも早く危害が加えられないことを察し、不気味なほどあっさりと力を抜いた。  半歩遅れで追い付く意識はその奇妙なズレに困惑する暇もなく、自分に向けられるエルベルトの険しい眸に捕らわれる。 「楽しいだと? 飼い主に粗末に扱われ、野蛮な拷問訓練までさせられて、こんな傷だらけになるまでこき使われたお前を見て私が楽しんでると思うのか!」  空気を震わす低く鋭い声。初めて見る怒りを滲ませた表情。  ――なんで、そんな……。  篭絡したいだけならいつもの何食わぬ顔で、あることないことを言葉巧みに囁いていればいいものの、不意にどうしても偽りだと思えない態度を取られて戸惑ってしまう。 『お前に嘘は言わない』  その言葉が脳裏によみがえる。  本当にルカを思って怒っているのだろうか。  父や弟はおろか、自分自身でさえ怒りよりも諦めが先立った己の人生。  赤の他人が、敵が、標的が、なぜそこまで――。 「あんたに……関係ないだろう」  やっとの思いで絞り出せたのは虚勢に他ならなかった。どうせまた運命の番だから、などと言うのだろう。それなら驚くことはない。こんな胸を締め付けられるような思いはしない。  だがそんな淡い期待は呆気なく散っていく。 「大切に思う者が理不尽に傷付けられて、平然としていられるほうがどうかしてる」  憮然と言いながらも、大きくて暖かい手のひらは緩慢な動きで腕を撫で、肩から首、首から顔まで辿った。ルカは何も言えず、ただ瞼を伏せてそれを受け入れた。  ――大切に思う? 俺を?  胸の奥に細いトゲが刺さって抜けないようなこの痛みは何なのだろう。  なぜ心が揺らぎそうになっているのだろう。  誰にも見せたことのない深いところまで見透かされている気がして、居心地が悪い。 「本当は人を殺めるのも嫌いなのだろう? 部下が誰一人殺されていないのが何よりの証拠だ」  ――ほら、また……。 「感謝する」 「……え?」  嘲笑され、弱みに付け入られることはあっても、感謝されるいわれはどこにもない。  驚いて顔を上げると、ふっとエルベルトの表情が和らぎ、口付けられた。  下唇を軽く噛まれ、その上を宥めるように舐められる。 「ん……」  あれは夢でも幻覚でもなかった。わずかに染み渡る唾液には確かな味がある。舌先に小さな粒が弾けて甘味が広がり、全身に震えが走った。 「寒いのか」  離れていく唇を追いかけないよう抑えるだけで精一杯だ。ルカは見詰めてくる目を避け、無言で頭を振った。  どうして口付けをされると味がするのか。エルベルトの言う運命と何か関係しているのか。  分からない。だが胸のざわめきは増していくばかりだ。  何よりも切望し、二度と戻らないと諦めていたものが殺すべき相手にもたらされるなんて。それが運命だとしたらあまりにもむごい。  もう一度この男に刃を向けた時、迷わず殺せるのか。いつものように、何を犠牲にしてでもランツを優先できるのか。  自分の最たる望みを切り捨ててでも。  即答できない自分が怖かった。  あってはならない。ランツを裏切ることなんて、絶対に。  頭では分かっていても、身体と心を従わせる自信がどうしても持てない。

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