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第四章 (6/9)

「鳥が好きなのか?」  エルベルトの問いにようやく空から視線を下ろした。 「……いや」  ただ、自由だ、とよく思って眺めていた。なんのしがらみもなく空を自由に羽ばたく存在に心が引き上げられるようだった。泥沼に足を取られ、動けなくなっている自分を一瞬でも忘れさせてくれる。自ら望んでいる場所だというのに、救われる気持ちになる自分を理解できないまま。 「……珍しいと思っただけだ」  取って付けたような言葉をエルベルトは気にする様子もなく、また歩き出す。 「そうか。珍しいものならもっとたくさんある。すぐそこだ」  どこに連れて行かれているのか、ようやく分かったのは長い並木道を進み、大きな門に辿り着いた時だった。閉ざされた鉄壁の向こうから大勢の人の声と動物の鳴き声が聞こえてくる。  フェルシュタインが誇る王家の動物庭園。  宮殿の一部に世界から集めた動物を囲い、それを民に公開していると、ランツからの情報にあった。 「病弱で遠出のできなかった祖母のために祖父が作ったものだ。それを父が民に開放して、誰もが楽しめるようにした」  誇らしげに語るエルベルトの合図で数人の門番が分厚い扉に手を掛けた。 「エルベルト陛下に栄光あれ!」  向こう側に立つ門番が声を張り上げると、人々のざわめきが一瞬にして鎮まった。低い唸りを上げて開かれた門の先にはしんと静まり返った民が一人残らず姿勢を低くし、頭を下げている。道の先まで目の届く限り、誰一人として顔を上げない。まるでその何十人ものの敬意と服従心が自分に向けられているような錯覚に囚われ、ルカを戸惑わせた。 「邪魔するぞ。みな気にせず楽しんでくれ」  エルベルトが声を掛けると、許しを得た民衆は一斉に歓声を上げ、エルベルトの前まで近寄ってきた。 「お元気そうで何よりです、陛下!」 「最近はお忙しいようで、今日はお会いできて光栄でございます」 「先日は港まで行かれておられたとか」  押し寄せてくる声を注意深く聞いてみたが、暗殺未遂については一言も耳に届かない。国王の寝室まで刺客が忍び込んだとなれば噂の一つぐらい流れてもおかしくないはずだが、周りを埋め尽くす顔はどれも陽気そのものだ。  じりじりと距離を詰めてくる人々の中には明らかに庶民も混じっている。謁見でもなんでもないこんな粗末な場で、気安く国王に声を掛けているこの光景に激しい違和感を覚える。ローアンではありえないことだ。  だがエルベルトの表情からも、護衛の態度からも、これがこの国の日常なのだと窺える。民に愛されているとは聞いていたが、エルベルトが彼らにとってこれほど身近な存在だったことに驚く。 「ところで陛下、お連れのお方は?」  周囲の注目が一気に集まり、ルカは背筋を強張らせた。エルベルトがこちらを一瞥し、口元に笑みを浮かべたのを見て嫌な予感が過る。  ――まさか……。 「良い機会だ。紹介しよう。彼は私の番になるルカだ」  エルベルトは至極当然のようにあっさり言いのけた。  この男は一体何を考えているのか。何を企んでいる。  愕然とものも言えないルカを気にも留めず、周りは喜びと祝福の言葉を次々と浴びせてくる。  いっそ大声で事実をしゃべってやろうか。そんな考えも反射的に湧いたがものの、興奮した民衆がより一層にじり寄ってきて声が喉に詰まった。  どこの出身なのか、一族は、エルベルトとの出会いは、式はいつなのか。  好奇心と憧れに満ちた顔でとめどなく質問を投げかけられる。それ自体は耳を貸すほどでもなかったのだが、前からも後ろからも囲まれると次第に冷たい緊張が身体を支配し、息苦しさに変わっていく。  匂いを失くして以来、大勢の中にいるとまるで視覚を半分奪われたかのように周囲の状況を把握できない。視界の端で捉える何気ない動きすら危険と錯覚し、神経を異常なまでに張り詰めてしまう。  寄るな。  来るな。  逃げ出したい。  一秒でも早く。  衝動に身体が動きそうになった時、ふと右手に温もりを感じた。  大きな手がそっと力を込めて握ってくる。安心しろ、と言うように。

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