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第四章 (7/9)
エルベルトは変わらず民と言葉を交わしていたが、繋いだ手は二人だけの世界を作り出した。周りの喧騒が消え、伝わってくる落ち着いた鼓動に同化するように自分の荒々しい脈も少しずつ治まる。
なぜこの男に触れるとこんなにも安心できるのだろう。
手を握り返したい本能と、振り解きたい理性の狭間で心が揺らぐ。
悩むことすらあってはならないのに。やるせない気持ちで歯を食い縛った。
「さぁ、行こう」
雑音の中からエルベルトの声だけが自然と耳に入る。
見ればいつの間にか集まっていた人たちは身を引き、道を開けていた。微笑みかける者や、恭しく頭を下げる者もいる。ルカが何も答えなかったことに気を悪くしている様子はなく、エルベルトが代わりに受け答えをしたのだろうと察しがついた。
手は離されないまま軽く引かれて庭園の中へ案内される。
握り返さず、ないもののように振舞えばすぐに飽きて離すだろう。
そう踏んでいたというのに、その日はずっと、宮殿に戻るまで手を繋いだままだった。
気になったのは最初のうちだけで、庭園の道を進むにつれてそれどころではなくなった。
左右には人の背丈よりも遥かに高い柵が並び、その向こうには見たこともない生き物がいた。右の囲いには茶色の毛皮に黒い縦じま模様を持つ獣が数頭。姿形は猫に似ているが、その何十倍もの大きさだ。隆起した筋肉をしなやかに動かし柵際を巡っている。観衆を威嚇するように放った咆哮はルカをも本能的に委縮させるほどの威力があった。
「トラという肉食獣だ。見たことあるか?」
圧倒されるあまり、素直に首を振った。こんな狂暴そうな獣を宮殿のすぐそばに飼うなんて。逃げたらどうやって仕留めるのか、それ以前にどうやって捕まえてここまで運んできたのか。未知との遭遇で頭の中が疑問でいっぱいになる。
エルベルトにじっと見詰められているのは気付いていたが、獣から目が離せない。そのせいで蒼い眸の奥に何かを探しているような鋭い光が一瞬過ったことに気付かなかった。
「こっちはライオンだ。あのたてがみが雄の象徴で……」
反対側の檻の中で岩に寝そべっている獣の説明を聞きながら、道を更に進む。しばらくすると開けた広場に大きな噴水があった。その周りを六つの檻が円形を描いて囲む。
トラとライオンの他にカバ、サル、キリン、そしてガゼルという動物が飼われている。どれも見たことも聞いたこともないものばかりで、取り繕う余裕もないままそれぞれに見入った。
「少しは気晴らしになったか?」
一周して中央の噴水の前に戻り、エルベルトが尋ねてくる。
軽やかに飛び跳ねるガゼルを見ていたルカは、言われて初めて他のことが頭から抜け落ちていたことに気付き、自分の間抜けさに何も言えなかった。
「そういう場所だ、気にするな。日常のストレスや苦労から切り離された別世界。そういう空間を民に与えるために父は庭園を開放したんだ」
エルベルトは周りに目を向け、時折膝を折って挨拶する人々に軽く手を上げながら話した。
「近頃はここだけの面積では足りなくなっているぐらいだ。この奥の庭園も改造して広めていこうと思う」
楽しそうに動物を眺める民を見るエルベルトの目は慈しみに満ちていた。彼らのために、と言葉にしなくても十二分にその気持ちは伝わってくる。
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