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第五章 (4/5)

「お前が全てを話してくれたら、これも外してやれるんだがな」  何も言えないまま茫然としていると、エルベルトは嫌なものを見る目で枷を眺めて言った。  散漫する思考をなんとか追いやり、今度こそ意志を固めてその手を払いのけた。 「誰がしゃべるか。こんな茶番、いい加減にしろ。噛むか殺すか、どちらもしないなら自由にしろ」  剣呑な視線をエルベルトに向けると、しばらく何も読めない表情で見詰め返されたが、やがてそれは薄笑いに変わった。 「お前のそういう強がりなところがたまらないな。どこまでもつのか、他の者なら高みの見物でもできるだろうに、お前の場合はどこまでももたせるから厄介だ」 「だったら――」 「だからこそ、私はお前が欲しい」  言葉を被せるように遮られ、うなじに手を回される。その俊敏さに比べ、顔を寄せてくる動きはどこまでも緩慢で、拒もうと思えばいくらでも隙はあった。  ――くそッ……。  そうできないのが分かっているかのようなわざとらしさに悪態を吐く。  欲しい。  こんな感情は今まで感じたことのない得体の知れないものだった。これほど何かを欲し、自分を抑えきれないのは初めてだ。  期待に打ち震える自分に絶望し、敗北にも似た思いで瞼を伏せ、口付けを受け入れた。  何も感じないはずのキス。濡れた感触と、曖昧な温もり、冷めていく心。これがユルグなら、そんなものしか感じなかったはずだ。  だがこれはユルグではない。間違えようがない。見えなくても全身の神経で分かる。  これはエルベルトだと。  角度を変えながら何度もついばまれるように唇を重ねられているうちに脳が溶けそうなほどの甘さが口の中に広がる。擦れ合う唇も、こぼれる吐息も、愉悦を孕んだ熱を帯びていく。冷静でいられなくなる。甘い疼きに思考を奪われ、のめり込んでしまいそうだ。  吸う息。触れる空気。心に開いた空虚な穴まで。  全てがエルベルトの存在に埋め尽くされていく。  ――溺れる……。  包み込まれる強烈な存在感の前では気泡のように頼りない理性を搔き集め、力の入らない手で厚い胸板を叩いた。なごり惜し気に唇が離れ、ルカは視界を覆う霞みを取りのぞこうと瞬きを繰り返した。 「よかったか?」  温かい手で目元をそっとなぞられる。 「……んなわけ、ないだろう」  エルベルトがじっとこちらを見ているのは分かっていたが、目を合わせることができない。淀み一つないその蒼い眸に覗き込まれると、虚勢すら言えなくなりそうだ。首元で忙しなく脈打つ鼓動がいつまでも落ち着かない。 「嘘だな。お前はキスにだけは従順だ」 「あんたがしつこいからだ」 「それだけか?」  適当な言い訳は、いとも簡単に見透かされる。 「お前の目はいつも苦しそうで昏いが、キスをした時だけ、こうやって光が戻る。濡れたエメラルドみたいな美しい目だ」 「な……に、言って……」  よくもそんな歯の浮くような台詞を……。  エルベルトがふっと笑う。 「赤くなってるぞ。綺麗だと言われたことがないのか? お前の国の者はみな盲目だな」 「あんたの目がおかしいだけだろう」  綺麗なのは自分ではない。エルベルトのほうだ。それこそ殺すのが惜しいと思ったほどに。  だがエルベルトは両手をルカの頬に添え、真剣な眼差しで言う。 「おかしくなどない。ちゃんと見えてる。ちゃんと、お前を見ている」  ――あぁ、やっぱり違う。  ユルグに向けられていたような目ではない。射貫かれるような目だ。  心臓が音を立てて跳ね上がる気がした。  真摯な声に、真っ直ぐな眸に、肌から伝わる好意に。どうしようもなく心が踊ってしまう。 「馬鹿だろう」  掠れる声で吐き捨てた。  罵られるべきはむしろ喜んでいる自分だ。一体、何を期待しているのか。 「馬鹿か。お前が手に入るならそれで結構だ」  ルカの暗い気持ちとは対極にエルベルトは軽やかに笑いながらベッドから降り、身支度を整えた。

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