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第七章 (1/3)

 街に出掛けた翌朝、エルベルトが部屋を出てから運ばれてきた食事にルカはほとんど手を付けなかった。立てた膝に腕を垂らし、思考の渦に沈んだ。窓の外を眺めている目には何も映らない。  お口に合いませんでしたか? と心配そうに尋ねるソフィアの声もどこか遠くに聞こえる。 「もしかして体調が優れないとか? それは大変! お医者さまを――あ、いや、その前に陛下に――」  ソフィアがあたふたと慌て始めてようやくルカは横を向いて彼女を遮った。 「いい、食欲がないだけだ」  昨日のことを思い出すだけで気が重くなり、何も喉を通らない。  自分の意思と身体のはずなのに、少しでも気を緩めるとそれを制御できない恐ろしさ。その理由に気付き始めていながら、何度も目を背けている。 「昼は食べる。だからあいつには――」  エルベルトには言うなと言いかけ、口を閉じた。  ――なんでそんなことを……。  まるで心配をかけたくないかのように。従順でいたことを示したいかのように。  また、気持ちが勝手に溢れそうになり、それに固く蓋をした。  そもそもソフィアはエルベルトの部下だ。主に隠し事なんてするはずがない。だから「分かりました」とあっさり頷かれた時には呆れてものも言えなかった。 「ちゃんとお昼を食べてくれたら陛下には内緒にしますね」  ソフィアは明るく微笑みながら食事を下げ、部屋を出ていった。  内臓が捻じれるように気持ち悪い。  平和だ、と半ば罵るつもりで言ったこの国の民はいい人ばかりだ。貴族も宮殿の者もオメガに対して分け隔てなく接してくる。エルベルトがなんと言っているかは知らないが、上辺はどうあれ、心に嫌悪を抱く者の目は幼い頃から見慣れている。それがここにはない。  唯一、護衛のマルクは不信を隠さずにいるが、むしろそれがあるべき姿だ。  扉が開く音がした。ソフィアが戻ってきたのかと思って顔を上げたが、そこには意外なことに今しがた頭を過った男が立っていた。  いつもエルベルトのそばから離れないマルクがなぜここに?  だがそんな疑問は一瞬で消し去られた。  マルクは冷たくルカを睨みながら腰に挿した長剣に手を伸ばしたのだった。  ――殺しに来たのか。  不思議と、驚きよりも恐怖よりも先に安堵が沸いた。  これで選ばなくて済む。解放される、と。  だがそんな期待に反し、マルクは剣を鞘ごと抜き、扉の脇に立てかけて寝台に近付いた。 「陛下からの届けものだ」  差し出された革装の本を茫然と見た。 「……」  ――それだけ……?  一瞬でも楽になれると思っていただけに落胆は激しく、気の抜けた乾いた笑いが口端を歪ませる。 「あんたも暇だな。わざわざそれだけのために来たのか?」 「これはついでだ。貴様に話があって来た」  本をそっとベッドに置くマルクを見て怪訝に眉根を寄せた。自分やエルベルトと変わらない年齢の男はその精悍で整った顔を少しだけ考え込むように伏せてから奇妙なことを言い出した。 「俺は陛下ほど気が長くないし、駆け引きも嫌いだ」  意を決したような眼差しを向けられる。 「貴様、ローアンの者だろう」

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