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第八章 (2/6)

 ――なんで……。  見えない重みがのしかかる。 「それが本当のお前か。初めて見た」  自分で言った言葉かと思うぐらい、全く同じことを考えていた。 「お前を喜ばせてやろうと思ってこいつらを連れてきたんだが、どうやら私のほうが得したみたいだな。躾けた甲斐があった」  エルベルトは嬉しそうに眸を細め、再び飛び立っていくキバタンを眺めた。 「……なんで」 「ん?」 「なんで、そこまでするんだ……」  抑えきれない言葉がついにこぼれた。 「なんで俺なんかにこだわる?」  そして一度口を開いてしまったらもう止められなかった。堰を切ったように溜め込んでいた気持ちが一気に噴き溢れる。 「そんなに運命の番が大事なのか? 俺はあんたを殺そうとしたんだぞ! そんな奴のために……なんでここまで……なんでッ――」  ――なんで俺に希望を持たせようとする。  なんとか呑み込んだ最後の言葉が行き場を失くして喉を塞いだ。  エルベルトといると、今とは別の生き方があるのだと気付かされてしまう。もっと明るい、暖かくて満ち足りた生き方が、この男のそばにある。  決して手を伸ばしてはいけない、その場所に。  そんな幸せがあるなんて、知りたくなかった。  知らなければこんな苦しい思いをすることもなかったのだ。  固く握り締めた拳をエルベルトは両手に取り、強張った指を宥めるように優しく撫でた。 「マルクに色々と聞かされたようだな」  はぐらかすような言葉とは裏腹に、向けられる眼差しは全てを理解しているような優しい笑みを含んでいた。  感情はささくれ立ったまま、ルカは言われていることの意味をなんとか理解しようとエルベルトの表情を探った。  なぜマルクのことを……? あの会話を誰かに聞かれていたのか。  マルクが護衛についていないことには気付いていたが、まさか既に罰せられたのか。  エルベルトはその視線で考えていることを察したのか、苦笑を浮かべ、用意されたテーブルに腰掛けた。 「お前は部下の心配までしてくれるのか」  倣って隣に座るしかないルカは気まずく肩をすくめた。こんな冷静に反応されては感情的に声を荒げた自分が恥ずかしくなる。  テーブルには精妙な意匠が施された磁器のカップが置かれ、中には透けた緑色の茶が入っていた。 「お前の選んだ茶だ。ミントのいい香りがする」 「そんなことより……」  エルベルトはそれをを一口に含み、カップの淵の上で目を細めた。 「そんなに他の男を心配されると妬けるぞ」 「何言って……」 「安心しろ。マルクは真面目な男だ。お前との会話を自から報告してきた。首も差し出してきたが、あいにく処刑なんてもう何年もやっていない。余計なことをしゃべった罰として半日護衛から外しただけだ。もっとも、それが一番応えるだろうけどな」  ルカはホッとして肩の力を抜いたが、逆に気になることも増えた。 「処刑を何年もしてないって、どういう意味だ」  処刑はいわば戒めのようなもの。大罪を犯させないよう、国を統治するすべの一つ。それをしなければどうやって犯罪を抑制するというのだ。 「お前なら分かるだろう。人を殺すのがどれほど簡単か」  エルベルトはどこか遠くを見る目でそう言った。  静かな声音は責めているわけでもないのに、嫌な感覚が首の後ろを這う。初めて暗殺を成功させた時に感じた命の呆気なさと、殺しへの激しい嫌悪感がよみがえる。 「私は不都合を目の前から消す一番手っ取り早い方法は殺しだと思っている。そして対立を最も単純明快に解決するのが戦争だ。だから私はできる限りどちらもしない。面倒だからと、時間が掛かるからと、簡単な道に逃げるつもりはない」  ルカは静かに聞き入りながら手元を見詰めた。 「なら他にどんな方法があるって言うんだ」 「話し合いだ」  予想通りの答えに顔をしかめる。 「そんなのはただの理想論だろう。国が弱くなるだけだ」  そんなことを言っているから平和ボケだと見下されて付け込まれる。 「確かに、軍の規模は小さくなった。戦場を経験した兵士も少なくなっている。だが国は衰退などしていない。侵略もされていない。なぜだか分か――あ、いや……」  珍しく言葉を詰まらせたと思ったら、その理由に思い当って愕然とする。  なぜだか分かるか、と言おうとしたのだろう。そう問い掛けられるのをルカが嫌ったことを覚えていた。力説を台無しにしてまでルカの気持ちを尊重した。  ――あぁ、駄目だ……。  揺らぐ心をどうにか留めようとするが、うまくいかない。  惹かれていく。  呑まれていく。  この男の魅力に。

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