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第八章 (4/6)

 エルベルトは深い溜息を吐き、手を引いた。  沈黙が流れ、触れられている時は少しも感じなかった冷たい風が吹き抜ける。  陽が傾くにつれて二人は建物の陰に覆われた。遠くに見える街並みが一層明るく際立ち、エルベルトはそちらに視線を向けて、困ったように微笑んだ。 「皮肉なものだ。お前と出会うまで、私にとってこの国が全てだった。国が繁栄し、民が幸せでいられれば、他に望むものなんて何もなかったというのに。今はたった一人のために国を支えている同盟を壊すことすらいとわない」  マルクの言っていた、もう一つの国のことだろう。胸を刺す痛みは罪悪感か。  本当にここまで自分を想ってくれているとは今の今まで信じられずにいたが、ようやく受け入れることができた。  エルベルトの声に、言葉に、心に、嘘はない。  そんな人を殺そうとしている自分がおぞましい。 「後継者はいないのか」  せめて彼が死んだ後に彼の理想を引き継いでくれる人がいればいいと思い、つい無意味な質問をしてしまう。エルベルトに感化されたのかもしれない。最後にもう少しだけこの男のことが知りたい。 「今のところ、次期王位継承者は妹の息子だが、まだ赤子だ」  不自然な問いにも躊躇わず答えてくれる。 「妾の子は?」  少し意外に思って尋ねた。正妻がいないのは知っていたが、国王ともなれば妾ぐらい当たり前に囲うものだろう。 「私がそんな器用な男に見えるか?」  エルベルトは軽く笑い、頬杖をついて首を傾げる。 「違うのか」 「そう思ってくれるのは光栄だが、一人だけでいい。生涯を共に過ごしたいと思える人を一人だけ片割れとして大切にしようと、ずっと決めていた。それがアルファであろうと、ベータであろうと、オメガであろうとな」  その言葉が何を意味するのか理解した途端、ルカは目を見開いた。 「まさか……俺を番にするって、結婚するつもりだったのか?」  ほとんどのオメガが甘んじる愛人の立場ではなく、婚姻を結んだ伴侶。  いわばフェルシュタインの女王の地位だ。  信じられない目でエルベルトを見ると彼は眉を上げて平然と言いのける。 「何を言ってる。そのつもりだった、ではない。今もそのつもりだ」 「おどけてる場合かッ。馬鹿じゃないのか。オメガが跡継ぎになってもいいのか?」  エルベルトが勝ち誇ったように口角を上げるのを見て、ルカは己の失言に気付いた。 「そうか、跡継ぎを産んでくれるのか」 「誰がッ」  きつく睨み付けると、エルベルトはまた楽しそうに喉を鳴らす。 「冗談だ。いや、お前に私の子を産んで欲しいのは本心だ。属性など何だっていい。どうせお前の血を引くんだ。負けん気の強い子に違いない」  ――子供……。  暖かい陽射しが惜しみなく降り注ぐこの庭で、小さな子供と笑い合うエルベルトの姿を想像するのは怖いほど容易だった。そこに自分はいるのだろうか。いたい、と願いそうになる心を踏みにじり、あってはならない未来に呑まれる前にそれを頭から打ち消した。

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