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第九章 (2/6)

 弟は生まれた瞬間から愛された。人が変わったように彼を溺愛する親を目の当たりにして、ルカは驚きよりも、悲しみよりも、感じたことのないほどの怒りが沸いたのを覚えている。  母の優しい笑顔。誇らしげにランツを抱き上げる父の姿。  信じられなかった。信じたくなかった。ただ属性が違うだけで、痛みも苦しみも知らず、なんの努力もせず、これほど深く愛されるのか。  その欠片でもいいから感じてみたかった。街で見かける子供のように、頭を優しく撫でられ、ただ暖かい手で触れられたかった。望んだのはたったそれだけだ。  それなのに弟だけが愛され、ルカは激しい嫉妬に囚われた。  何度いなくなればいいと思っただろうか。  消えてしまえ。死んでしまえ、と。   爆発しそうなどす黒い感情を必死に抑え続けて半年ほどが過ぎた頃。珍しくランツの部屋に誰もいないことに気付き、そっと中に入り、ゆりかごに近付いた。  間近で弟を見るのは初めてだった。静かに寝息を立てている姿を見ただけで沸々と怒りが沸いた。  ――なんでこいつだけが特別なんだ。  自分が愛されないのはこいつのせいだ。  理不尽な怒りに身を任せ、握った拳を振り下ろそうとした時だった。  ランツが目を覚ました。  まるで鏡を見ているかのようだった。自分と同じ緑がかった眸と、そこに映る困惑の表情。向けられる敵意の意味も理由も分からず、それをただ受け入れることしかできない無力さ。  同じだと気付き、戦慄が走った。  何もしていないのに――ただオメガとして生まれただけなのに――憎まれ、疎まれ。  この子だって何も悪くない。アルファとして生まれただけだ。  意味もなく傷付けられる痛みを一番よく知っている自分が、母と同じように罪のない子に手を上げようとした。  同じ苦しみを与えたかったのか。  ――違う……俺は……。  ランツの目にみるみるうちに涙が溜まっていくのを茫然と眺めながら、力の抜けた手でその頬に触れた。  柔らかい。  叩かなくてよかった。心底そう思った。  それでも、また言い付けを破ったことには変わりない。今度こそ母に殺されるだろうか。それとも捨てられるだろうか。絶望が押し寄せていると、とうとうランツが奇声を上げた。  笑い声を。  ルカは驚いて身を引こうとしたが、小さな手で人差し指を掴まれた。何が面白いのか、ランツは丸い頬を持ち上げ、またケタケタと笑った。  嬉しそうに。楽しそうに。今しがた感じたであろう不安と恐怖は一瞬のうちに消え、どこまでも純粋で信頼に満ちた目で見上げてくる。  身体が震え出した。  それはルカにとって、生まれて初めて誰かに求められた瞬間だった。  泣きそうになりながら、その小さな手を包み返し、誓った。  ――この子のためなら、なんだってしよう。  己のことしか考えず、護るべき弟を傷付けようとした償いとして。何よりこの暖かい信頼を失わないために、それに相応しい兄になるために、心に刻んだ。  そんな誰よりも大事な存在をどうして裏切られる。  ルカは冷たい窓に額を押し当てて、瞼を閉じた。  手足に嵌められた鎖など気にならないほどに、心を支配する見えない鎖に身動きがとれない。あがけばあがくほど、その締め付けはきつくなっていた。  限界だ。  もう迷っている時間も気力も残っていない。どんな形であろうと、この硬直状態を終わらせるしかない。  遠くから話し声が聞こえ、自然と胸が高鳴る。  エルベルトだ。  帰ってきた。
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